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鶴見俊輔詩集『もうろくの春』(SURE)

 たしか高校三年生のときでした。鶴見俊輔氏の芸術論の冒頭を読んで、呆気にとられました。当時の私の勉強部屋の壁には(恥ずかしいですがちょっと懐かしくもあり……)、ハンス・ベルメールと佐伯祐三とフェルディナン・セリーヌと高松次郎とジョン・レノンのポスターが脈絡なくベタベタと並んで貼られていました。そして高校生だった私は「芸術とは、人類の長い歴史のなかで育まれた、とても一言では言い尽くせない、深くて複雑で直接手を触れることのできない何かなのだ」というような意味合いのことを言語化もできないままぼんやりと感じていただけでした。ところが鶴見俊輔氏の芸術論の出だしは、いともたやすく、そのような窮屈な思いこみのガスで充満した小さな部屋の窓を、さっさと開け放ったのです。

「芸術とは、たのしい記号と言ってよいだろう。それに接することがそのままたのしい経験となるような記号が芸術なのである。もう少しむずかしく言いかえるならば、芸術とは、美的経験を直接的につくり出す記号であると言えよう」(「芸術の発展」鶴見俊輔著作集4 筑摩書房刊より)

 あまりにも風通しがよくて、今まで開けるのを忘れていた窓の向こうにくっきりと晴れている青空を見上げて、私は呆然とするばかりでした。この「呆然」にはなんともいえない快感がありました。拘泥しないこと。自由であること。人間への深い愛情があること。人間に対して胸のすくような距離感を持っていること。こんな文章を書く人の心や頭のなかには、そのような事柄もきっと含まれているに違いない。そう感じさせるものがありました。いやいやそうではない、鶴見氏の芸術論の背景にあるものはアメリカ哲学なのさと、したり気な口ぶりで言う人もいるでしょう。そのような人は、鶴見氏の文章を特徴的にしている柔らかなひらがなの文体の魅力を、音楽のように味わう懐など、おそらく持ち合わせていないはずです。

 鶴見俊輔詩集、とありますが、収録されているのは鶴見氏自身によるものばかりではありません。『アラビアのロレンス』を書いた詩人のロバート・グレイヴスや、グレイヴスと同じように第一次世界大戦に従軍した詩人、ウィルフレッド・オウエンの詩、北アメリカの先住民オマハの言葉、ペルシアの古いことわざや、旧約聖書からの言葉の引用も含まれています。鶴見氏の柔らかな文体を育んだ個人史と、個人史の背景にある膨大な読書の海のなかで、夜光虫のように光る言葉。それらの「小さな良きもの」が、この瀟洒な装幀の詩集の、軽い網かごのなかにとらえられています。

 最初のほうに収録されているロバート・グレイブスの詩が素晴らしい。最初の四行だけ引用してみます。

 彼はすばやい。はっきりした形にたよって、考えてゆくから。
 私はのろい。形のきれはしをたどって、考えてゆくから。
 
 彼はにぶくなる。はっきりした形を信じているから。
 私はするどくなる。形のきれはしを信じてはいないから。

 原詩の英文はわかりませんが、このように訳すことのできるのはおそらく鶴見氏だけでしょう。ひらがなの力を十全に使いこなす文体を持つ鶴見氏ならではの翻訳です。

 次は、鶴見氏自身の詩からひとつ。

 嘘と私

 自分のことを書こう
 正直に
 ──書けるかな

 まず心にうつして見る
 それがそのまま
 紙の上の字になるとして

 書かれたことは
 いくぶんか嘘になる
 という法則がある

 人間の歴史をつらぬく
 この法則から
 どの文章も自由ではない

 そしておそらく
 書かれたことに嘘がある
 という法則の故に
 
 私にとってある
 この自由

 鶴見俊輔詩集を刊行しているのは、京都に拠点がある「SURE」という編集グループです。この本は書店では売っていません。直接販売のみの扱いになっています。「考える人」最新号の荒川洋治氏と鶴見俊輔氏との対談にも登場する丸山真男『自由について 七つの問答』もここから刊行されています。この「SURE」の仕事を前にすると、編集という仕事、出版社の仕事について、あれこれと考えることがいっぱい湧いてきますが、そのことはとりあえず置くとして、何よりもまず、この小さな出版社から刊行されている本にぜひご注目いただきたいと思います。ホームページのアドレスは、

http://www.groupsure.net
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