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斉須政雄『調理場という戦場』(朝日出版社)

「ほんもの」の人の言葉は、かならず人の胸に届きます。それは言葉が巧みであるか否かを問いません。ごつごつしていても、訥々としていても、手慣れない言葉のほうがかえって届く場合があります。書かれたものではない、その人の口から直接に語られた言葉には、口調や体温、人柄が漂います。だからこそゴマカシが効かない。嘘がつけるじゃないかと言うかもしれません。しかし嘘はいつかはばれるもの。確かな耳と目さえあれば、虚飾は透けて見えてきます。

「ほんもの」の人の言葉を聞きたい。読みたい。けれどそういう人はつねに忙しい。書いたり喋ったりすることが本業より優先されることはありません。同じ仕事場で働いていれば別ですが、「ほんものの人の言葉」を耳にできるチャンスは滅多にないのです。この本は、そんな希有なチャンスを私たちに与えてくれます。

 斉須政雄氏は日本で指折りのフランス料理店、東京・三田の「コート・ドール」のシェフです。彼の語った言葉がこの本の頭から尻尾までぎっしりと詰まっています。胸に響く話し言葉がこれほど惜しみなく次々と繰り出される本を、私はこの数年、手にしたことがないような気がします。受け止める側のキャッチャーミットのど真ん中にバスン、バスンと投げ込まれる。手のひらがひりひりとする手応えのある剛速球。しかもかなり重い。

 そう書いてしまうと、怖い顔をした人がまなじりを決して投げてくるところを想像してしまうかもしれません。そう感じた方は、本書のなかに綴じ込まれているカラー写真で、斉須氏の笑顔をご覧いただきたい。もし「フランス料理なんてしゃらくさい」と思われるのであればなおさらです。「小さい頃には、お寿司屋さんになりたかった」(本書より)というのも深く頷けるような、ニッポン男子の笑顔。それも人生の様々な場面で充分にダシをとってきたであろうことが見てとれる、なんとも深い味わいのいい顔をしているのです。斉須氏の著作、『十皿の料理』(朝日出版社1992年)、『メニューは僕の誇りです』(新潮社1998年)にもそれぞれポートレート写真が入っていますが、さらに年を重ねた2002年刊行の本書の顔が、いちだんといい顔をしている。

 斉須氏は、フランスで約十二年間、修業をしてきました。働いた店は六店。心から尊敬できるシェフのいる店もあれば、半年と続かなかったひどい店もあります。それぞれに一癖も二癖もある店で、どこでも斉須氏は全力投球で働きます。睡眠時間もまともにはとれないような環境であったり、三つ星レストランの御曹司が大きな顔をしてのさばっている店で辛酸を嘗めさせられることもあったり、どちらかといえば「もうやってられない」と投げ出したくなるような、袋小路に追い込まれることばかり続くのですが、そこで斉須氏は目をつぶるのではなく、かえって目を凝らして、それらの事態をよくよく見ています。どんなにひどい状態であっても、そこから学んでいる。養分にしているのです。

 たとえば一軒目の店では、効率の悪い、不便きわまりない厨房で、大人数のお客さんを扱わなければならなかった。なんでいつまでも改良しないのか、といぶかりつつ、こう考えるのです。「あとで引いて見てみると、不便さがいい塩梅になっていたような気がするのです。ラクではないから一生懸命やるし、争いは絶えないけれども、長い目で見ればそれはチームメイトどうしの意志疎通や親しみや思いやりにもつながる。次から次に新しい課題が出てくるから、マニュアル通りできないことに対して、その都度柔軟に対応できる。チームメイトは一度は『ここからもう降りたい』と思うかもしれないけれど、乗りきる力はつく」。斉須氏はさらにこうも言います。

「調理場の中で、見習いというのはいちばん周囲を見渡すことができるのです。はじめて触れる社会の組織は、こういうものなのか。料理長はこんなことをやって、こんなことを目指している。お店は毎日このように回転している。少し先輩の人は、入って何年目でああいう仕事に就いている……。そうやって見習いのうちにまわりを見据えながら、自分の夢を少しずつ具体的な目標に定めていく期間は、あったほうがいいと思います。できるならば、若い人には、ある程度の時期までは無傷で行ってほしい。傷はいつかは必ず受けるものです。三五歳ぐらいまでは、天真爛漫なまま、能力や人格や器を大きく育てていったほうが、いいのではないでしょうか。無傷で行かないと、大舞台に立った時に腰が引けてしまう。いじましい思いが先に出てしまう」

 厨房にはチームワークが必須です。掃除ひとつとっても、チームワークしだいで清潔さの度合いがみるみる変わってしまう。上下関係もかかわってくる厨房では、難しい場面も多々起こります。よく「料理の腕は黙って盗め」「料理は手取り足取り教えるもんじゃない」というような言い方がありますが、斉須氏はこんなことも言います。「誰がどう見ても、手を貸したほうがいいということがはっきりしている場面があるとします。そこで手を貸さずに放っておいた。何も教えてあげなかった。見過ごした。そういう人のことを、ぼくは絶対に許しません。手を貸すことは難しいことではないのに黙って見ているわけですから。……白日のもとに引きずり出して、もう、泣くまで言いますね」

 斉須氏が修業した三軒目の店、「ヴィヴァロワ」のオーナー、ペイローさんについてのエピソードも実に素晴らしい。三つ星レストランのオーナーなのに、従業員然としていて洗い場のおじさんのようにしか見えない。「ぼくは、ペイローさんを日本で体現したいと思いました。自分でやれる大きさ以上の仕事には手を出さない……これは簡単そうで難しい。いつもうれしそうに、楽しそうに仕事をしていました。姑息さもない。表も裏もまったく変わりがない。ああいう風になりたい。本質以外は何だかわからない人。だけど、いつも垂れ流しで自分を出している人。ピュアの純度が高すぎて、あまり理解されていない。世俗的なところがなく、レストランを通して社会奉仕をやっているようでした」

 引用を始めてしまうと切りがなくなります。でも最後に、いくつかの言葉を紹介させてください。この本がこれから仕事に就こうとする若い人のためばかりではなく、管理職であろうが、芸術家になろうとする人であろうが、政治家であろうが、誰にでも必ず響く言葉があるはずです。たとえば……。

「大切なのは、簡潔であり、清潔であり、人間性があるということ」
「意志疎通をすること以上に大切なことは、そんなにない」
「クリエイターとしての内面が協調性だけでは、新しい発想は出てこない」
「野菜には必ず兄弟がいる」
「静かなる者は健やかに行く。健やかなる者は遠くまで行く」
「独創的なものはそれほど『遠く離れた尊いもの』ではない」
「どんな人でも完全に思い通りにできないからこそ、ぼくのような弱い人でもやってこれた」
「基礎を習ったばかりの人は、特に最初は非常にいきりたった火の使い方をする」
「いきりたたなくても、色は湧き出てくる。人間性と同じ」
「ベルナールから学んだものの中でいちばん大切にしているのは『臆病さ』」
「やりたいことを躊躇していても、命には限りがある」

 このような人と同時代に生きていると考えるだけで、勇気が湧いてきます。誇らしい思いもする。私はこれから先も折々に、この本を二度、三度と読み返すことになるでしょう。
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