Kangaeruhito HTML Mail Magazine 158
 身の置きどころ

 小林秀雄賞のパーティは、去る10月7日にホテルオークラで行われました。昨年よりも出席者が多く、終了時刻になっても会場はずいぶんと賑やかでした。賞の運営は選考過程が何よりも大切ですが、選考結果のお祝の場としてパーティが盛会であればあるほど、こちらもじわじわとうれしい気持ちになってきます。一年間をかけて候補作を渉猟してきた“楽しい労苦”がさらに報われるような思いに満たされます。

 パーティ会場での主催者側の鉄則──「常識」と言い換えたほうがいいかもしれません──は、参会者を差し置いてパクパクと料理に食らいつかないことでしょうか。もちろん「飲み食い厳禁」を指令されているわけではありません。少なくとも片手にはワイングラスぐらいは持ち、ときどき料理をつまんだりすることだってあります。ただ、会場に並んだ料理の皿に目を走らせてあれこれ品定めしているうちに担当している書き手の方が傍を通りかかっても気づかないとか、知り合いの方に後ろから声をかけられ、振り向いたときには自分の口が食べ物でいっぱい、という状態ではいられません。

 私は正直言ってパーティが苦手です。まずパーティ会場のなかを“泳ぐ”ということができないのです。知り合いの人に会って話を始めると、どこでどう話を切り上げていいのかタイミングがつかめない。本当なら、声をかけて挨拶しておきたい人が他にもたくさんいるのですから、適当なところで話を切り上げて、場所を移しながらこちらから声をおかけしていくのがパーティの正しいなりゆきであり、主催者の「責務」であると思います。ところが私は、パーティ会場に足を踏み入れて、最初に誰かに出会って話を始めた場所からほとんど動かないまま、時間ばかりが過ぎて行くのです。

 まだ二十代の頃、雑誌の取材でダムに沈む村を訪ねたことがあります。沈み行くダムの村の人々や風景をカメラにおさめている女性の取材でした。村は過疎化が行き止まりまで来ていて、若い人の姿はほとんど見かけませんでした。村がどこかさみしい空気に包まれていたのは過疎化のせいばかりではもちろんなく、まもなくダムに沈む運命がそのような空気を漂わせていたのだと思います。

 取材当日は、実は「村祭りの日」だということが途中で判明しました。そう言われるまではまったく気づきもしなかったのです。神輿がかつがれるわけでもなく、屋台が出るわけでもない。村には祭りの雰囲気などまったくありませんでした。「村祭り」だと聞いても狐につままれたような気分です。夕方になると、村の中心部にある小さなお寺にぽつりぽつりと人が集まり始めます。「村祭り」の「中央会場」であるらしい板張りのお堂のなかにも、ほとんど何があるわけでもない。車座になる村びとと、一升瓶が何本も、そしておちょこではなく湯呑みがひとりひとりに配られます。

 私はかぎりなく下戸なのですが、二十代は呑めないなりに多少は呑んでいました。お堂のなかの雰囲気を見ながら「あ、これは多少は呑まないではいられない展開になるな」と感じました。同行の社のカメラマンは私に目配せしながら「たいへんだぞこれは」と囁きました。カメラマンはカメラを手に持ったまま、ときどきファインダーをのぞきこんで撮影を続行する態度をとっています。世話係の人が湯呑みを手渡そうとすると「はいはい、撮影が終わったらいただきますからね」と巧みにかわしている。うーん、ズルイ。そしてカシコイ。

 集まって来る村びとは中高年ばかりです。というか、ほとんどが「おじいちゃんおばあちゃん」。湯呑みが用意されている様子を見て、これは大変だと思った反面、かれらの穏やかそうな笑顔を見ていると、それほど大した呑み会にはならないかもしれないと淡い期待を抱き始めていました。がしかし……それが甘い見通しだったことは間もなく判明します。

「おじいちゃんおばあちゃん」であっても酒が弱いとは限らない。笑顔で湯呑みを口に運ぶピッチはがぶ呑みをしている風では決してありません。しかし淡々と着実に呑み干す酒量は、全自動のお風呂場の水位のように音もなく静かに増えて行きます。最初のうちはなんとなく「おじいちゃんおばあちゃん」たちに部外者として無視されていたような雰囲気だったのに、気がつくとすでにかなりの酒量に達しているらしきおばあちゃんが、当然のような顔をして私の横にぴたりと座り込み、私の膝の上に皺だらけの手を乗せながら、何やら猥談めいたセリフを隣のおじいちゃんに向かって言い放ち、けたけたと屈託なく笑います。

 それから後の展開はほとんどおぼろげにしか覚えていません。とにかく次々に湯呑みに酒を注がれたこと。おじいちゃんおばあちゃんが輝くような表情で何かを勢い良く喋り、私は背中を叩かれたり、ほっぺたをさすられたり、腕を引っ張られたり。聴覚も味覚も嗅覚ももみくちゃになって、視覚はもちろんアルコールでぐらぐらです。最後までカメラを手放さなかったカメラマンが私の肩を抱きかかえるようにして帰途に着いたらしいことは後になって話として聞いただけで記憶には残っていません。

 宿についてから私は多少正気に戻り、荒い息をはきながら七転八倒状態でした。自分で自分のはく息や低いうなり声を聞きながらこのまま死んでしまうのかもしれないと頭の隅で思います。コップで水をのみ、せんべいぶとんの上でやるせない体をあっちやこっちによじりながら、ときどきわき上がってくるものがあると、宿の汲み取り式のトイレにはうようにして転がり込みます。その繰り返し。あれほど酒を呑んだのは、後にも先にもあの時がいちばんだったと思います。

 辛かったけれど、あの村祭りと称する呑み会は、今は不思議と楽しい記憶として残っています。最初は身の置きどころがない感じでしたが、あちこちで笑い声が立つようになる頃にはなんとなくおじいちゃんおばあちゃんの海のなかで正体不明になることがどこかうれしい気持ちに変わっていったような気さえするのです。最初から最後まで正気でいる立食式のパーティが身の置きどころのないまま続くのとはまったく違う感じ。実は私は立食式パーティよりさらに座敷での宴会が苦手ですが、私はその延長線上にありさらに過激化した村の呑み会のほうがどこか性にあっている、ということがあり得るのでしょうか? ……まさか。そんなはずは。

 今はすでにダムの底に沈んでいるであろう村には、私のそんな記憶が刻まれているお堂があると想像すると何だかまた息苦しくなってきます。呑み会ではじけていたおじいちゃんおばあちゃんたちは、今どこでどうしているのでしょう。屈託なく集まることのできる場所は残されているのでしょうか。そしてそこでけたたましく笑いあうことはできているのでしょうか。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
All right reserved (C) Copyright 2005 Shinchosha Co.