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広瀬正『マイナス・ゼロ』
(写真は河出書房新社版 現在は集英社文庫)

 紹介する本が思いつかないとき、私は自宅の書棚の前を右へ左へと行ったり来たりします。何度かこの『マイナス・ゼロ』を手に取って、書こうかどうしようかと迷ったことがあるのですが、結局書かずじまいでした。思い入れのある小説の紹介は難しい。あらすじを丁寧に説明するわけにいかない小説だとなおさらです。

 広瀬正のプロフィールを『広瀬正・小説全集』(全6巻 河出書房新社)のパンフレットから引用してみましょう。──「広瀬正は'24年、東京・京橋に生まれ、東京大空襲までそこで過した。ジャズとクラシックカーを熱愛していたが徴兵猶予のある工学部に進学したところで敗戦。すぐさまテナー奏者に転じ《デキシーランダース》で活躍、やがてフルバンド《広瀬正とスカイトーンズ》を結成、'60年まで続く。そのかたわらクラシックカーのモデル製作に手を染め世界的なプロ・モデル作家となる。また、'61年より活字の世界に転進。ありえない世界の物語りを独得の空理とイマジネーションで構築し始める。長篇第一作『マイナス・ゼロ』は、発表とともに一躍評判となり、『ツィス』『エロス』と三期連続直木賞候補作に挙げられる。タイムマシンを使った過去の改変が文学的パトスの核を占め、タイムマシンの製作も企みたが、『タイムマシンのつくり方』という短篇集を残しただけで、'72年3月9日死去。広瀬正を収めた棺には《TIME MACHINE》と印された」

 享年47歳。心臓疾患による急逝でした。小説を書き始めたのはその約10年前、37歳のときでした。伝説的なSF同人誌「宇宙塵」に発表された初期作品「もの」は、私たちの身の回りにある「もの」(それが何かは、オチにあたるので書けないのですが……)を未来の人間が発掘し、何の目的でつくられ、どのように使われたのかをめぐって未来の学者たちが諸説を唱え論争になる──という原稿用紙3枚に満たないほどのショートショートです。読み終えれば微苦笑を誘う気楽な作品ですが、しかし洗練された筆致と無駄のない構成は見事という他なく、新人にしてすでに大家の風格のあるものでした。このショートショートは一度読んだらいつまでも忘れることのないという点でも希有なものです(『タイムマシンのつくり方』所収)。

 三期連続で直木賞候補作となったそれぞれの作品を読めば、広瀬正が長篇タイプの作家であることは間違いないところです。その長篇第一作が『マイナス・ゼロ』。その後に刊行されたた短篇集『タイムマシンのつくり方』を読むと、「宇宙塵」を中心に発表していたいくつかの短い作品が、その後の長篇のアイディアを生み出す母体になっていることがわかります。61年に執筆活動を開始しながら、おそらくその頃には70年刊行となる長篇第一作『マイナス・ゼロ』の構想と執筆準備は開始されており、数年をかけて周到な調査を重ねていたのではないかと想像されます。『マイナス・ゼロ』をお読みいただければ、この作品が丹念な資料収集と調査を経なければ到底書けるものではないことがおわかりいただけると思います。当時、司馬遼太郎氏がその作品を高く評価していたことも頷けます(ご興味のある方は、新潮文庫『司馬遼太郎が考えたこと 6─エッセイ1972.4~1973.2─』をご覧ください)。

 何を徹底的に調べたか。それは主人公がタイムマシンによって旅をする戦前戦中の東京のディテールです。たとえば銀座の街並みはどのようであったのか。どの道筋にどのような店があったのかまで徹底的に調べ上げている。当時の服装はもちろん、雑誌や新聞のたぐいまでシラミ潰しに資料をあたり、小説の背景や主人公の心情の描写に活かしているのです。書き割りではなく、ほんとうにその時代に登場人物が生きて活動していたら、このような光景のなかでこのように息をしていたはずだ、という環境を完璧に整えている。この偏執狂的とも言える徹底した資料調査で連想がおよぶのは、私にとっては、映画『バリー・リンドン』を撮った監督、スタンリー・キューブリックの仕事ぐらいでしょうか。

 広瀬正の経歴にはクラシックカーのモデル製作について書かれています。この製作態度も並みのものではなかったようです。とにかく一般的なプラスティック・モデルの完成度がいかに低いもので、いいかげんかということを常日頃から嘆いていた彼は、あらゆる部品を自作したようです。唯一自作が不可能だったタイヤについては、自分で図面を描き、懇意にしている街の工場に特注で作らせたといいます。小説のディテールへのこだわりは、こんな気質からもきているのでしょう。

『マイナス・ゼロ』はタイムマシンを道具とした小説です。欧米には先行する作品があります。その古典ともいえる作品はもちろんすべて読んでいたに違いありません。それらをすべて消化した上で『マイナス・ゼロ』は書かれている。『マイナス・ゼロ』を読みながら、まるで大船に乗って楽しませてもらっているような気分でいられるのは、おそらくそのような土台がしっかりしていることから来るのでしょう。とにかくタイムトラベルものとしての瑕疵が見あたらないのです。勢いで書いたというアンバランスもない。大人が書いた小説、というしかない風格がこの小説には備わっています。

 そしてこれらのしっかりとした土台の上で展開される手汗握る物語には、なんとも言えない抒情が漂っているのです。登場人物たちへの限りない愛情がある。書き割りのなかで作者の都合で勝手に動かされている「駒」という扱いがされていないのです。『マイナス・ゼロ』を魅力的にしている最大の理由は、実はここにあるのではないか、と思うのです。その愛情はいったいどこからくるのか。

 それはやはり、広瀬正が1924年、大正13年に東京・京橋に生まれた、という個人史にあるのでしょう。1945年の東京大空襲まで過ごした場所。東京大空襲で失われたもの。それらに対する愛惜が『マイナス・ゼロ』執筆への原動力になっているのに違いありません。徹底した資料調査も、気質から来たものばかりではなく、自分が生まれ育った場所と時代への愛情に駆り立てられたものであったはずです。登場人物たちに何とも言えない魅力と愛らしさがあるのは、おそらくここに大きな謂われがあると思うのです。

 そして今回、この本をパラパラとめくっていて驚いたこと。それは、『マイナス・ゼロ』の物語における「現在」の設定が1963年になっていることでした。次号の特集「一九六二年に帰る」の編集作業の真っ最中に、このディテールに気づいたことが果たして良いことだったのか悪いことだったのか、なんとも言えない気持ちになりました。広瀬正にとって、限りなく現在に近かった1963年という設定は、今の私たちにとってはモノクロ画面の過去になってしまっている……。しかし、校了になるまでは『マイナス・ゼロ』は読み返さないことにします。読み返したら最後、きっと何らかのかたちで、打ちのめされるに違いないと思えるからです。
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