欧米に比べて日本では、本格的な自伝がずいぶん少なく感じられます。そのかわりに、膨大な日記が書かれてきたのではないでしょうか。書くだけではなく、「土佐日記」に「更級日記」、「断腸亭日乗」に「富士日記」と、日本人は日記を読むのがとても好きなようです。日本人にとって日記とは何なのだろう――橋本治さんにうかがってみました。

 橋本さんは、「日本での日記の定義って、そもそもすごくあいまいなんですよ。(平安時代の)官僚が書いた公式行事の私的な記録みたいなものも、『日記』だし」といきなりこちらの思いこみをゆさぶるようなことをおっしゃいます。でもなるほど、わたしたちがいま「日記」といって思い浮かべるものと、歴史上「日記」とよばれてきたものには、大きな隔たりと幅があるようなのです。

小学校の夏休みに絵日記を書かされ、大人になっても、博文館の当用日記を毎日つけるのがまともな偉い人みたいな思い込みが、日本人の中に広く浸透しているでしょ。「自分は三日坊主で終わってしまった」という悔いとないまぜになって(笑)。
 日記が大昔からずっとそういうものだったかというと、そうではなくて、いろいろ振幅があった。だって、『土佐日記』なんかフィクションじゃないですか。『更級日記』も日記と言ってはいるけれど、回想録みたいなものですよね。……それと、日記イコール人に見せないものといういまでは当たり前の考え方も、じつは昔からあったわけではないんですよね。

 さらに橋本治さんは、神と対峙する存在としての自分があるキリスト教の社会と、わたしたち日本の社会との違いを踏まえてこうおっしゃいます。

 日本人にとって日記とは何なのだろうと考えると、日本文学の規定そのものをぐじゃぐじゃにしちゃうようなところがあって、それは、「個人が個人として何かを書くということはどういうことなんだろう」という問題に行きつくんですよね。

 これは、欧米で自伝や評伝が生まれ、発展していった背景を言い当てたするどい指摘だと思います。では日本人は人に自分を伝えようとするとき、どうしてきたのか。これが面白い。日本人にとっては、じつは「和歌」のほうが、ずっと「日記」なのではないか、と橋本さんはいうのです。この、はっとさせられる日記と和歌との関係につづき、日記における平安貴族のつつしみ、江戸期の日記について、さらに戦中日記から現代のブログまで、日本人と日記との長く複雑なつきあいが、目からうろこの落ちる話の連続で語られてゆきます。お見逃しなきよう。