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 チロリアン・ジャケットの謎

 1963年に公開された伊丹十三監督のデビュー作「ゴムデッポウ」が、42年ぶりに湯河原の伊丹邸から発見されたことは10月27日付のメールマガジンですでにお伝えしたとおりです。団塊の世代より年上の人であれば公開当時に見ている可能性はあるものの、私のまわりで見たことのある人は誰ひとりいませんでした。再映された様子もなく、フィルムがどこに眠っているのかもわからない。まさに幻の映画でした。湯河原から東京にフィルムが運ばれて、宮本信子さんのご厚意で内輪の試写会に駆けつけることができ、「ゴムデッポウ」を見て感慨を抱いたこと、印象に残ったことは数えきれぬほどありました。そのうちのひとつは、フィルムに記録されている伊丹さん自身のファッションが、「やはりさすが、かっこいい!」。

 まだ29歳だったはずの伊丹さんは、カラーレス(襟なし)・ジャケットを着ていました。私にとってカラーレス・ジャケットといえば、何と言っても62年から65年ぐらいまでのビートルズのファッションとして記憶に残っています。ビートルズのちょっとタイトな着こなしは、男の私が見ても「セクシー」で「可愛い」。ビートルズに熱狂的な人気が出たのは、音楽はもちろん、キャラクターの魅力にもプラスして、メンバーの小ぎれいで気の利いたファッションが少なからぬ影響を与えたのではないか。

 それこそリヴァプール時代の、レコードデビューする前のビートルズは、今風に言えば「ちょいワル」ファッション(?)でした。クオリーメンと名乗っていた頃などは髪型はリーゼントだった。ところがビートルズとしてデビューする頃には、サラサラのマッシュルーム・カットになり、ジャケットは革ではなくカラーレスでした。ファッションが全面的に変わったのは、途中からマネージャーになったブライアン・エプスタインの指示だった、と何かで読んだことがあります。

 そして、「ゴムデッポウ」が撮影されたのは1962年。ビートルズが「ラブ・ミー・ドゥー」でデビューしたのと同じ年です。ということは……いやしかし、いくら何でも、伊丹さんがビートルズのファッションに影響されてカラーレス・ジャケットを着た、と考えるのは時制的にはやや厳しいのではないか。現在と同じように情報のスピードがあったのならあり得ない話でもないのですが、1962年当時、白黒テレビの普及率が50パーセントに届いていなかった時代に、それにだいいち、ちょうどその頃エッセイストとしての執筆活動も開始していた伊丹さんは、著書『ヨーロッパ退屈日記』でビートルズ・ファッションが流行り始めていることについて釘をさしてもいるのです。

「貧乏はしていても、貧乏臭い真似はいやだね。毅然たる構えがほしいね。ビートルズの後塵を拝して、物質的にも精神的にも、自分を下層階級と証明する必要はどこにもないと思うのだが」(『ヨーロッパ退屈日記』ハイヒールを履いた男たち より)。

 じゃああのカラーレス・ジャケットは、どこからやって来たのだろう、と考えてはみるものの、これがどうしてもわからない。それにしてもかっこいい、と振り出しに戻ってしまうのです。ところがこの未解決の問題が、先週の金曜日にあっけなく解けてしまったのです。次号の特集は、「1962年に帰る」。伊丹さんの映画「ゴムデッポウ」が撮影されたのは同年。それならばということで、この特集のなかで「ゴムデッポウ」の登場人物である「イッちゃん」こと市村明さんにお話をうかがうことになったのです。撮影当時、銀座にあったチロルは、今、自由が丘に移っています。先週の金曜日、チロルを訪ねて、市村さんに二時間にわたってお話をうかがいました。

 市村さんのお話でいろいろなことが判明しました。伊丹さんの着ているジャケットは、「チロリアン・ジャケット」というものだそうです。伊丹さんと市村さんの間では、通称「綿羊」と呼んでいたらしい。市村さんと伊丹さんがしばしば一緒に出かけていた志賀高原のスキー場で、ヨーロッパ帰りの「ある人」がこのチロリアン・ジャケットを着て目の前を滑って行くのを二人同時に目撃し、「何てかっこいいんだ」と衝撃を受けた。その「ある人」がホテルに戻ってかけておいたジャケットを二人でこっそり盗み見たりもして、その出どころを探ったそうです。そして様々な経緯を経て、市村さんが勤めていた銀座のチロルという洋品店で、オーストリアの山奥にあるメーカーから直輸入して販売することになったらしい。
 
 そして、二人の前にそのジャケットを着て颯爽と現れた「ある人」とは、「考える人」04年冬号の特集「大人のための読書案内」で、加藤典洋さんがお勧めの一冊として取り上げた本の主人公・猪谷六合雄さんだった、というのです。猪谷さんは日本にヨーロッパ流のスキー術を紹介した大先達。息子さんの猪谷千春さんは日本で初めての冬季オリンピックのメダリストとなった人です(猪谷六合雄さんの本については、バックナンバーにあたってみていただければ幸いです。42ページに出ています)。

 市村さんのお話は、それ以外のことでも実に興味深いエピソードが満載でした。「1962年に帰る」の特集のなかで、やはりインタビューさせていただいた和田誠さんや佐野洋子さんのお話にも登場する、当時のデザイン界の重鎮であった亀倉雄策さんが、やはりチロルの常連客だったそうなのです(亀倉さんは、1961年から64年にかけて日本全国のあちこちで見かけた東京オリンピックのポスターをデザインした人です)。亀倉さんと伊丹さんは、銀座でも、志賀高原のスキー場でも、しばしばすれ違っていたらしい。それぞれ別々の意図があってうかがうつもりだった話が、どんどん、次々につながっていく──。おそるべし、1962年!

 とうわけで、映画「ゴムデッポウ」に描かれている1962年の世界には、知られざるエピソードがいくつも隠されています。12月27日のたった一回限りの特別限定上映会では、当時の伊丹さんをよく知るお二人、村松友視さんと新井信さんの対談も予定しています。62年をめぐる様々な謎がさらに明らかになる可能性もありそうです。私にとっても、来たる12月27日が、ますます楽しみな一日となってきました。読者の皆様の多数のご来場をお待ち申し上げています。

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「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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