Kangaeruhito HTML Mail Magazine 163
 

佐藤雅子『季節のうた』(文化出版局)

 この本は初版が昭和51年に刊行されています。しばらく絶版になっていたようですが、根強い人気に押されたのか、数年前に復刊されました。著者の佐藤雅子さんは明治42年東京生まれ。日本国憲法の起草に関わった佐藤達夫氏の夫人です。この本が刊行された約3ヶ月後に、佐藤雅子さんは亡くなられました。すなわち本書が遺作、ということになるのだと思います。

 この本の素晴らしさは、手っ取り早く説明するのが難しい。なぜならば、今の私たちの「手っ取り早い」暮らし方、生き方とは正反対の場所で、つまり手間のかかる家事全般を、手間をかけるのが当たり前であった場所で、淡々と慈しむようにふり返り、確かめている。その背筋の伸びた姿勢全体が、この本の魅力になっているからです。淡々とはしているのですが、しかし、どこかに切実な響きも遠くから聞こえてきます。暮らしのなかで学んだ智恵や、暮らしをめぐっての記憶を、なるべく具体的に伝えておきたい、というやむにやまれぬ思いがあったのではないか、と想像するのです。

 昭和51年といえば、1976年。この本に書かれてある様々な暮らしのディテールが、すでに過去のものになりつつあった時代です。「台所のこと」の章で紹介している「私の台所覚え書き」にはこんな箇条書きが出て来ます。その一部を引用してみましょう。

「三 掘りたての竹の子は、先端を下向きにして土間に置くこと。上向きにして置くと、どんどんのびます。
 十二 大根をゆでるときには、少量の米粒を入れると苦みがとれます。
 十四 酢の中に少量の塩を入れておきますと、酢が長もちします。
 二十八 肉をオーブンで焼くとき、焦げすぎて困る場合は、キャベツの大葉をかぶせます」

「月末スープ」という章があります。いったい何のことかと思えば、「その月の月給袋の中身がだんだん軽くなってまいりますと、よくオニオンスープを作ります。材料は三、四個の玉ねぎをせん切りにしたものと、バター、牛乳、チーズで、玉ねぎはバターで茶色になるまでいためます。その香ばしいにおいと、口でふきたいくらいに熱いスープのこってりした舌ざわりは何ともいえません。ほかにパンの一切れもあれば、これ一品だけで、充分なくらいでございます。このスープは、私の幼いころから今日まで、“月末スープ”の愛称で家族に親しまれてまいりました」とある。月給袋の厚さ薄さ、という感覚はすでに私たちのものではありません。銀行口座の残高の無機質な数字の並びだけが、私たちの暮らしの経済的なよりどころになってくると、「月末スープ」のような言葉は生まれる余地がなくなってしまうのかもしれません。そしてこの「月末スープ」という語感には、どこか向田邦子さんのエッセイにも通じるような、昭和三十年代前後のユーモアが漂ってもいます。

 それでは「わが家の年こし」の章はどうでしょう。この本にはときおりピリリと胡椒のように辛い「姑」が出て来ます。この姑はなかなか厳しい言葉で、台所のあれこれを著者に教え、指導します。お椀の洗い方から黒豆の正しい煮方まで、ここまで言われたら窮屈な思いをしたに違いないはずです。それでも著者は、そのことを嘆きません。「口うるさいといえばその通りかもしれませんが、生活のけじめをきっちりつける意味から、こういった厳しいしきたりも、いちずに古いとばかりいいきれないような気がいたします」。おそらく若い頃には何度となく気持ちがざわざわと騒ぎ、胸がつまったこともあるでしょう。しかし時間が経過して、それをある程度客観的に振り返ることができるようになって、こうして姑の言葉を書き残している。そのあたりの個人的な「到達感」のようなものが、この本をさらに独特な説得力あるものにしているのです。

 この本が得がたい一冊であることの理由に、もうひとつさらに付け加えるとするならば、それは、造本、装幀、組版、本文紙など、本づくり全体です。今はなかなか見られなくなった貼り函、何枚も挿入されるモノクロ写真をきれいに見せるための本文紙の選択、読みやすい上品な組み版、クロス装の手触り。ここにはかつての本づくりの良き見本が勢揃いしているのです。著者、佐藤雅子さんの書き残した文章が、おのずと引き出すことになった、内側からにじみ出てきたデザインなのでしょう。年末年始の清浄な空気のもとで読む本として、これほどふさわしい本はないかもしれません。

 それでは皆さん、どうぞ良いお年をお迎えください。
All right reserved (C) Copyright 2005 Shinchosha Co.