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片山令子ぶん 片山健え
『おつきさまこっちむいて』(福音館書店)

 毎日があんまり寒いので、会社の行帰りも、どこかへ出かけるときも、いつのまにか背中を丸めて急ぎ足になってしまいます。私は冬生まれなので、太平洋岸にまで雪が降るような冬はいかにも冬らしくて好きなはずなのですが、しかし寒いものは寒い。散歩をしながらあたりの風景をのんびりと楽しむ余裕はほとんどありません。マフラーをまいて、ふだんはほとんど使わずにいた手袋もして、心持ち目も細めて、うつむき加減に歩くことになります。
 
 片山健さんの絵本には冬や雪をあつかった忘れられない名作があります。筒井頼子さんの作、片山健さんの絵による『ながれぼしをひろいに』(福音館書店)をご紹介しようかと思っていたのですが、これは舞台がクリスマス・イブの夜。ちょっと迷っていたところに、たまたま昨日、書店で見つけて買ってきたばかりの最新作(と思われる)『おつきさまこっちむいて』があり、やはり素晴らしい作品だったので、今回はこれを取り上げることにしました。この絵本の文は、片山さんの夫人の片山令子さん。

 片山さんの絵の世界にはいつも「自然」が描かれています。山川草木ばかりでなく、生きものとしての子どもまでを含んだ「自然」。どちらかといえば環境保護の対象となるような壊れやすい自然ではありません。原初の怪しい力をたくわえたもの。噛み付いたり、どろどろになっても平気で、勝手に動き出すような粗野なエネルギーを持った何か。小さな箱におさめようとしてもおさまりきらない、人間には手に負えない大きな力が自然にはあります。片山さんの描く子どもたちが独特なのは、どこかおさまりきらない向こう見ずなエネルギーを発散するものとして見られていること、描かれていることです。

 今回の題材は「月と子ども」です。子どもが見上げる空の月が、さまざまなシチュエーションのなかで描かれます。絵本に登場する小さな子どもの日常は、さまざまな場所で、さまざまに月を発見する日常です。自分の力で立ち、歩きはじめるようになると、子どもは散歩の途中でよく立ち止まり、ブロック塀の片隅に生えている小さな草の花や、道の傍らに落ちているクリップなどをめざとく見つけます。親が前を向いて進んでいようがおかまいなし。私たち大人はよほど印象的な月であれば、例えば煌々と冷たく輝く満月であったり、地平線に近いところで異様に大きく見える橙色の月ならば、ふいをつかれることがあります。しかし立ち止まって見上げることには自制心が働いてしまう。路上で月を見上げて立っていたら、怪しい人だと思われるのではないか。

 大人は目に入る「月」を単色の記号や言葉で処理してしまいがちです。子どもは今日たった今見上げる月に、それぞれ月だけが一瞬持つ固有の意味合いや手触りのような感覚を見いだし付与します。子どもが月を見上げて想像力を働かせることは、子どもが世界と向き合い、自分の内面を育ててゆくレッスンであると同時に、自分のなかに蠢くエネルギーを確かめる「エネルギー補充」の儀式のようなものなのかもしれません。

 たましいを抜かれたようにして、何かをじっと見つめることは、大人にとってはあぶない気配が漂います。道ばたにしゃがみこんで蟻を観察する大人に「どうしました?」と声をかける人があるとすればそれはお人好しか同好の士であって、普通ならば「君子危うきに近づかず」。見なかったことにされながら遠ざかられてしまいそうです。しかし考えてみればそれをあぶないものとして見るのは現代社会というシステムであって、現代社会がそれをあぶないものと見なすのは、「何を生み出すわけでもないどうでもいいことに立ち止まるようなことは、社会がつつがなく進行する上で障害になりかねない」と判断するからでしょう。だとすれば、現代社会は、私たちは、いつ「エネルギー補充」をしているのか。

『おつきさまこっちむいて』のもうひとつの素晴らしさは、子どもが月を見上げている場面の空気が伝わってくることです。夕刻の空気、夜更けの空気、歩道橋の上の空気。それぞれの場所の空気を吸いながら月を見上げる感覚が、私たちの心とからだにあやしくひろがってゆく。うまく説明できない狂おしさのようなもの。そのかけらが、からだの奥のほうに小さく発火するのを感じます。寒い冬ながら、春の気配が近づいているなかで、この絵本を読むことの不思議さを感じました。
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