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平野太呂写真集「POOL」(リトルモア)

 プールつきの家、と聞けば、どうしてもアメリカをイメージしてしまいます。プールを作ることができるほどの敷地。プールを作ることができるほどの財力。そのプールで泳いだり日光浴したりする余裕のある、優雅な暮らし。私たち日本人にはちょっと想像もつかない世界です。アメリカにはそのような家がいっぱいあるらしいと知って、小学生の頃カナヅチだった私は「自分のウチにプールがあったら、クラスの友だちに見られることなく泳げるようになるかもしれないのにな」と心底うらやましく思ったものです。

 社会人になり海外取材でアメリカ西海岸上空を飛んでいたときのことです。飛行機が着陸態勢に入って、方眼紙のように整然と区劃された街並みがどんどん近づいてくると、プール付きの白っぽい住宅がこれでもかこれでもかと続くのが見えました。私は飛行機の小さな窓に顔を押しつけるようにして水色の鮮やかなプールを見下ろしながら、「これかぁ!」と唸り声をあげたくなるような気分になりました。やっぱりこんなにゾロゾロと、プール付きの家があるんだなあ。

 1950年代後半生まれの人間が集まって飲んだり食べたりしているときに、何かの拍子で俄然盛り上がることがあるのは、1960年代に日本で放映されていたアメリカのホームドラマへと話題が転じたときです。トリビアルな思い出を語り合っていると、テレビドラマに映るアメリカに手放しで憧れていた当時の自分の気持ちが鮮やかに甦ってきます。アメリカの一国主義がいかに批判されても、どこかで最終的にアメリカを憎みきれない心理が残るのは、あの頃にドラマを通じて見ていたアメリカ人の率直で開け広げなヒューマニズムが、気配りと世間中心主義の日本の、曖昧で筋の通りにくい空気のなかで育てられていた日本の子ども心に、少なからぬ説得力をもって迫っていたからではないか、と思うのです。

 子どもの目をきちんと真正面から見すえて、何が正しく何が正しくないのかを説く。母親への愛情を隠すことなく表現する。家の中をパンツ一丁で歩いたりしない。上等そうなカーディガンを羽織ったり、シャツの襟首にチーフを巻いたり、かなりお洒落。キャッチボールをさせたら天下一品。中年太りなんかしていない──。忙しすぎて家族と会話をする時間も少なく、いつもちょっと不機嫌な日本の父親と、テレビで見る明朗快活なアメリカの「パパ」とは、天と地ぐらいの開きがあるように思えました。

 この写真集は、そんなアメリカのプールばかりを撮影したものです。がしかし、ここには私たちの世代が夢を見て憧れていたアメリカの姿はありません。撮影されているプールはすべて水が抜かれた後のもので、壁にスプレーで落書きがしてあったり、プールサイドが資材置き場と化してしまっていたり、周囲をぼうぼうと雑草に覆われていたり、使われなくなって十年はゆうに経過したかのようなプールばかりが続々に登場するのです。

 写真集を見終わって、最後に置かれている文章を読むと、これらのプールは何の役にも立たずにうち捨てられているのではなく、「捨てる神あれば拾う神あり」とばかり、スケートボードをする人々にとって貴重な「練習場」「競技場」になっているのだ、ということがわかるのです。水のないプールでスケートボードをする人々のことを「プールスケーター」と呼ぶことも、この写真集で初めて知りました。それを分かった上でもう一度、写真集を最初から見直すと、空になったプールの壁面には、スケートボードでこすられた跡が残っている! 写真集の最後に置かれた竹村卓氏の文章「プールの旅」によれば、アメリカのプールには年代によって少なからぬ特徴や傾向があるらしいのです。

「目的とはまったく違う使い方をするスケーターには、プールに対する独特な見解がある。50年代以前のプールは大きくて良いが、40年、30年代のプールは路面が悪い。60年代以降はサイズが小さく滑りにくい」。──へえ、そうなのか、と私は意外な事実を知らされたように思いました。私が熱中して見ていた60年代のアメリカのテレビドラマが放映されていた頃には、プールはすでに小さめの夢へと後退して、あちこちで栓が抜かれ始め、使われなくなる段階に踏み出していたのかもしれない、と。

 写真家・平野太呂氏は「水のないプール」と題した「あとがき」をこう締めくくっています。

「物心ついた頃からスケートボードに親しんできた僕は、いまだにスケートボードに魅了されている理由がハッキリとは分からない。それはまるで自分のアイデンティティが分らないのと似ている。だけどプールの風景に出逢って、答えがココにあるかもしれないと思い始めている。美しくて悲しい風景のなかに、ひと筋のウィール(タイヤ)が通った跡。そんな風景が僕にとっては妙に納得がいく答えになってしまう」

『POOL』におさめられた写真には、何とも説明しがたい、奇妙に静かな美しさがあります。スケートボードが壁から離れ、スケーターとともに空中の一点で静止する一瞬の感覚にも似た、恩寵のようなもの。特別に乾いた空気と特別に透明な光が、その瞬間に、スケーターだけを包み込む。その感覚を自分のからだで知っている者が、唯一とらえることのできる何ものか。その何かが奇蹟的に写し撮られているのが、この写真集なのかもしれません。 
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