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M・B・ゴフスタイン『ピアノ調律師』
(すえもりブックス)

 原題は“Two Piano Tuners”。つまり直訳すれば「ふたりのピアノ調律師」。ひとりは、その腕を「世界一」と賞賛されることもある老練なピアノ調律師。もうひとりは彼の孫娘で、しかしまだ小学生ぐらいの女の子。調律師であるお祖父さんのルーベンは孫娘のデビーにピアニストになってもらいたいと切望しているようです。しかし、デビーのピアノの腕は、お祖父さん曰く「お前がなかなかうまく弾けるようにならなくて、残念だよ」と言いたくなるレベルにとどまっているらしい。

 ──と説明すると、なんだか厳しいお祖父さんと可哀想な孫娘の図を想像してしまう方もいらっしゃるのかもしれません。いや、まったくそうではないのです。最初のページから読んでいただければ、お祖父さんがいかに孫娘思いであるかが間接的に、そして切々と伝わってきます。白髪頭のルーベンがひとりで起き出して身支度をし、孫娘とふたりの朝食を準備する場面から物語は始まります。戸棚から取り出されるお皿、ボウル、塩コショウ入れ、ナプキン、ナイフとフォーク、白いマグカップがふたつ、それらが淡々と描かれながら、文章はこのように続きます。

「戸棚の中のほとんどのものは、二年前、よその町に住んでいた息子夫婦が亡くなり、急に小さな孫娘を引きとることになったときに、ピアノの調律を頼まれている町の奥さんたちからもらったものでした。
『だけど、どうやってあの子の面倒を見るつもりなの?』パールマンの奥さんは心配してそう言いました。『あなたは男やもめなのよ、ルーベンさん。それにもう若くはないし、あの子に何をしてあげられるの?』
『そうですね、でもわたしは音楽を知っています』彼は言いました。『わたしは音楽を知っています。それに何人もの偉大なピアニストたちのためにピアノを調律してきたし、アイザック・リップマンとは一緒に演奏旅行もしました。だから、あの子にピアノを教えることができると思うのです。もしかしたら、あの子は将来本物の演奏家になるかもしれない』」

 息子夫婦がなぜ亡くなったのか。この物語のなかで明かされることはありません。そのことについてルーベンが何を思い、デビーにどんな記憶が残されているのかは、見えてこないのです。物語は、ルーベンの「盟友」である名ピアニスト、アイザック・リップマンが、予期せぬタイミングでルーベンとデビーの住む町に現れることで動き始めます。そしてルーベンに言いつけられたある役割を果たすため、雪のちらつく静かな町にデビーが出かけたものの、いくら経っても戻ってこない、というアクシデントが起こり、祖父と孫娘の静かな暮らしには大きな山場が訪れるのです。

 子どもが将来自分が何者かになりたいと思う気持ちと、大人が子どもの将来に投影する願望との行き違い。これはあらゆる家族につきまとう普遍的な問題だと思います。そして、大人が子どもに投影するものが、子どもにとっては過重な負担となって音もなく降り積もってゆくことが多い、ということもまた、他人の話としてはよく理解できるものです。しかし、それが実際に自分の子どもであった場合にはどうなのか。親はもちろん祖父母でも、子どもの夢に気づかぬふりをしたまま、結果的に子どもたちを何かに埋もれさせ息を詰まらせてしまうことがきっとあるはずです。

 それにしても小学生の女の子、デビーの意志はすばらしい。誰がなんと言おうと、梃子でも動かない自分の確かな気持ち。そして、「好きこそものの上手なれ」の具体的なかたち。ピアノ調律師の必需品としての整調工具を空ですらすらと言えるデビーの記憶力が爽快です。小さな子どもにも潜んでいる思いこみの力を、これは見事に描いた作品だと思います。物語の空間には、目に見えぬ一本の弦が張られていて、その真っ直ぐな線が、私たちの心に輝くような印象を残します。

 ところで名ピアニスト、アイザック・リップマンの描かれ方を見ていたとき、ふと思いました。直角三角形を立てたように真っ直ぐ伸びた背筋、みなぎる自信がのぞく横顔、やや後退したくせのある髪型は、ルービンシュタインがモデルなのではないか、と。名うてのプレイボーイ、ルービンシュタインは、こんな小さな女の子にもあんな殺し文句が言えたのだな……というのは、私の想像力過剰の蛇足です。
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