Kangaeruhito HTML Mail Magazine 186
 お名前は?

 今年はことのほか雨や曇りでじめじめした日が多いせいか、たっぷりと水分を吸い上げた木々が、縦へ横へと枝葉を伸ばしているようです。「水分はもうじゅうぶん。もっと光を!」と叫んでいる木があるのかもしれませんけれど。

 自宅の狭い庭に、しかし狭いことをほとんど考慮に入れないまま、山桜と桂の木を植えたのは14年ほど前でした。山桜も桂も幹は片手で握るぐらいの太さしかなかったはずなのに、今はふたつの手のひらで掴んでも指が届かないほどに成長しています。桂にいたってはぐんぐんと高さを稼いでしまい、気がつけば梢は二階の屋根の高さを越えてしまいました。帰宅するとき、遠くから桂の木が見えてくると、そのあまりの成長ぶりに、見上げるたのしみよりも呆気にとられる気持ちのほうが勝ってしまいます。

 樹が目に見えるように成長するのは春と夏。刻々と変化してゆく庭には、とにかく手入れが不可欠です。さもなくば、鬱蒼と繁った樹が庭をみるみる暗くしてしまうからです。里山から人手が減り、枝打ちなど手をかけられなくなると、森林は荒れ果ててしまう、と言います。庭木の様子を見ているだけでも、里山を維持することの労力と難しさが具体的に実感できます。

 ぐんぐん伸びた山桜や桂の手入れは、脚立を立てかけ手の届くところまでは自分でもできなくはない。でもその先は、もはや素人の私の手にあまる作業です。植木屋さんにお願いするしかありません。しかし実は以前、植木屋さんにお願いして大失敗したことがありました。私は「これでもか」というぐらい刈り込んでしまう日本の植木屋さんの「五分刈り仕様」が好きではないのです。亜熱帯の日本の気候ならあれぐらい刈り込んでも大丈夫なのかもしれませんが、「何もここまで刈り込まなくても……」と思うのです。刈り揃えてくれれば充分なのに。

 ということで事前に「あまり刈り込まないでくださいね」と細かく注文をつけたはずでした。ところが、作業のあいだしばらく外出していて帰宅した頃には、庭の木々は哀れなほど徹底的に刈り込まれ、まさに「五分刈り仕様」。目隠しとして青々と茂らせていた白樫の木もジャコメッティの彫刻を思わせる「枯れ枝」のような状態に……。その時のショックたるや。 あの「五分刈り仕様」は、今でもたまによその家の庭でみかけることがありますが、あれはひとつの流派(?)なのでしょうか。あのような刈り込みを日々やっていると、たとえ注文で「刈り込まないで」と言われても、手が勝手に動いてしまうのだろうと解釈するしかありませんでした。

 その苦い経験があり、今回はじめての植木屋さんにお願いすることになったので、剪定をするお願いをしているのにもかかわらず、口から出る言葉は「刈らないで刈らないで」。そのせいか、植木屋の親方は「旦那さん、ためしにまずは桂の木だけ刈ってみますから、これでいいとか駄目とかおっしゃってください」ということになりました。「え? でも今日はちょっと雨模様だけど」「いや、これぐらい平気です。いつもやってることですから」

 親方と職人の二人は、ぽつぽつと雨の降るなかを、長く伸びる梯子を運び込み、桂の太くなった幹に立てかけて、まずは職人が、その後から親方が、同じ梯子をするするとのぼっていきます。職人は梯子の上部を桂の幹に結びつけると、今度は梯子からひょいと離れて、梯子を立てかけてある幹の隣の枝の上に地下足袋の右足をのせ、その右足を軸に今度は左足を次の枝へと伸ばし、と、失礼ながらほとんど猿のように木の上を渡っていきます。そしておそろしく切れ味のよさそうな小型ののこぎりで枝をはらっていく。大木とはいうものの、まだまだ若い木ですし、上へ行けば行くほど枝は細くなっています。まさか枝を足場にするとは思ってもいなかったので、職人が乗っている枝が少したわんだりすると、折れてしまうのではないか、とはらはらします。

 ぱきんッ、と枝が折れてしまえば、ハーネスをつけていない職人は五メートルぐらいの高さから地面にたたきつけられてしまうでしょう。親方は自分の体と梯子をハーネスで結びつけ落下しないようにして作業を始めていますが、目線はいつも半分ぐらいは職人に注がれている。「タカちゃん、そっちの枝、そこ、はらっていいよ」「タカちゃん、そっちはもういいんじゃないか」「タカちゃん、左側、うんそっち、それ切っていいぞ」。二階の部屋の窓からふたりの作業を見ていると、親方は目線よりも下、職人は二階の窓からでも見上げる場所にいます。すごい。「タカちゃん」と呼ばれる職人の足は、この枝は大丈夫かどうか、その足をのせてみた感触だけでわかっているらしい。

 さっきから「すごい、すごい」と連発している娘と同じく、たんに「すごいね」と惚けたようにつぶきながら作業を見上げているボキャブラリー不足のわたし。「タカちゃん、こわくないのかな?」「すごいね」「タカちゃんって、なんていう名前なの?」「そんなの知らないよ。窓あけて聞いてみれば?」「だめだよ! 気が散っておっこっちゃうよ!」「じゃあ、高田さんかな」「高橋さんかもしれないじゃん」「苗字じゃないかもしれないぞ。スズキタカオでタカちゃんかもよ」「そうかなー。あの人、鈴木って顔じゃない気がする」「鈴木って顔はどんな顔だよ?」「ねえ、だから聞いてみてよ」「だって聞いたら落ちちゃうんだろ?」「だから、終わったときでいいからさー」「……」「ね?」「いや、わかった」「え? 何が?」「あのすごい人の名前だよ」「なになに?」「たかぎのぼる、高木登だ」

 雨のなか、桂の剪定は一時間ほどで終了しました。親方は満足げに桂を見上げて「どうです? 旦那さん、これだったらよろしいんじゃないですか?」と私に聞きます。「いや、ありがとうございます。これなら庭も明るくなったし、桂も風通しがよくなって気持ちよさそうですね」「旦那さん、桂はね、どんどん大木になりますよ。そういう木なんです。でも葉っぱもまるくて可愛いし、いいですよね、桂は」「そうですね」。高木登さんは少し離れたところで一服しています。「お名前は?」と聞きたい気持ちはふつふつと湧いてくるのですが、どうしても聞けません。「どうもありがとうございました」と声をかけると、「高木さん」はうれしそうに一礼しました。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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