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大竹昭子『きみのいる生活』(文藝春秋)

 スーパーマーケットの「明治屋」で買い物をすると、レジ脇に積んである「明治屋」のPR誌『嗜好』を手に取ります。新書ぐらいの大きさの小ぶりな判型ですが、創刊は1908年(明治41年)、つまりまもなく創刊100周年というたいへん長い歴史のある雑誌です。存在はずいぶん前から知っていましたが、七年ぐらい前から『嗜好』の最新号を見つけると、会計の最中であっても慌ただしく手に取り、ぱらぱらとページをめくって、目当ての連載が掲載されているかどうか確認していました。それが本書『きみのいる生活』の連載でした。

「きみ」とはスナネズミのこと。スナネズミといえば、どうしても思い出すのは佐々木倫子さんの名作マンガ『動物のお医者さん』です。モンゴル原産の小さくて可憐なスナネズミは、物語の脇役として、どこか得体の知れない、しかし幸せそうな生き物として描かれていました。そのスナネズミを一匹、著者の夫であるN氏がある日、ペットショップで衝動買いしてきて、飼うようになるところからこの物語は始まります。

 まず驚くのは、スナネズミがまったく人間を怖がらないこと。それはペットショップで生まれたが故の、最初に刷り込まれたものなのかもしれません。しかし読み進めていると、どこか「もともとそういう生き物なのかもしれない」と思わせるような、天性の愛想の良さがあるのです。もらわれてきた子猫でも、最初はテレビの裏側やソファーの下に隠れて出てこないことがありますが、スナネズミの「クロ」は新しい環境におびえるでもなく、無心にひまわりの種を食べていたりする。その動作もどこか人間の仕草に共通するところもあって、著者夫妻はたちまちクロに惚れ込んでしまいます。

 この物語が後になるにしたがって、ドラマティックな展開をしていくようになるひとつの大きな要素になっているのは、著者夫妻が考案した「放牧タイム」。一日に一回、クロをかごから出して「畳の草原」に放してあげることなのですが、「昼はこちらもすることがあるので、夜になることが多いが、むこうも夜行性なので、暗くなってからのほうが元気がいい。日が落ちると、もうすぐだと知ってそわそわしだす」。部屋のすみを走り回り、狭いところを見つけると入り込み、気が乗れば部屋の中央を跳びはねるように走ることもあります。このあたりの描写から、読者である私たちはすでに、「クロ」をひとつの「人格」としてとらえ始めることになるのです。

「ひととおり室内を歩きまわると、座ぶとんの山に仁王立ちになって四方をぐるりと見まわす。敵はいないかと見張りをしている大将のようで、狭い日本間がモンゴルの草原に見えてくる。
 かと思うと、パタパタと足音をたてて近づいてきて、畳に寝ころんでいるわたしのからだに乗っかってくることもある。
 背中の上をはいずりまわったり、ズボンの中に入りこんだり、読んでいる本の上に立ちあがったりして、しきりに気を引こうとする。そういうとき、そこにいるのはスナネズミではなくて、わたしたちの『クロちゃん』である。目に見えないものがたがいの心をゆきかい、この世にたったひとりしかいない相手と対しているような神妙な気持ちになる。別の生き物を求める心は、どんな動物にもあるのだ」(『きみのいる生活』より)

 初代スナネズミ「クロ」ちゃんはしかし、ある事故が原因となってあっけない死を迎えます。しかしスナネズミの虜になってしまった夫妻はまもなくペットショップであたらしいスナネズミを手に入れると、同じく「クロ」という名前をつけて、新たな共同生活を始めます。面白いのは、スナネズミは個体が変われば、食べ物の好みや行動のパターンもがらりと変わること。「初代クロ」と「二代目クロ」の個性の違いがあきらかなのです。生命の多様性から考えれば当然のことなのですが、「ふうん、そういうものなのか」と妙に感心、納得してしまう部分でもあります。

 面白いエピソードを引用し始めたらきりがありませんが、『きみのいる生活』ならではのものをあげるとすれば、それは「一緒に飛行機にも乗れば、温泉旅館へもでかける」ところでしょうか。「え? 手荷物でスナネズミを持ち込めるの?」と読んでいるとびっくりするのですが、ここにも後でさらに意表をつかれる展開が待っています。温泉旅館への旅行は、『ダ・ヴィンチ・コード』で二人の男女が暗号文の入った「クリプテックス」を密かに運びながら逃げるシーンのスリルにも似て(!?)、はらはらさせられます。ここはぜひ本を読んでいただいて、味わってみてください。

 生き物を飼っているとき、じーっとその前にかがみこんで眺めている気持ちはいったい何なのでしょうか? あるいはその生き物に触れて、ぼんやりするときの気持ちは、私たちの他の行動からはなかなか得られないものではないか、とあらためて思うのです。

 人間に飼われる生き物は、「飼われる」という状態に置かれることによって、野生そのものであったときとは微妙に違う、不思議な存在に変わります。しかしそれは、人間に飼われてもなお、その本来の野性が人工的な環境のなかでも引き続き発揮される不思議さ、なのかもしれず、生き物を飼うことの面白さとおそろしさはそのあたりに存在するのかもしれません。

『嗜好』の連載と大幅に違う点は、表紙カバーのみならず、本文中にも8ページのカラー写真ページが挿入されているところ。連載のときにはあれこれと文章表現だけで想像していたスナネズミたちの、愛らしい表情や動作を見ることができたのは、たいへん幸せなことでした。
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