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森浩一『古墳の発掘』(中公新書)

 奈良県明日香村の高松塚古墳、キトラ古墳の壁画保存の問題が、しきりに報道されています。途中で盗掘にあいながらも千数百年にわたって生き延びてきた壁画をこれからどのように次世代へ手渡していけるのか。修復保存のテクニカルな問題はもちろん、壁画をどのように公開できるのか、あるいはできないのか、といった問題も大きくのしかかってきます。ちょっとした判断の間違いで「とりかえしのつかない」事態につながる可能性もある壁画の保存は、当事者でなくても胃が痛くなってくる問題です。

 高松塚古墳の壁画が発見されたのは1972年。私はまだ中学生でした。石室の西壁に描かれた女子群像に代表される、絵としての素晴らしさ、色の鮮やかさ、に圧倒される思いでした。宮廷に仕える(?)人々の服装のデザインが、学校の教科書などでは見たこともないようなものだったことも強く印象に残りました。誰がどんな思いでこれらの絵を描いたのだろう、と想像してみても、何の手がかりも知識もあるわけでもなく、しかし絵としてそこにあるだけで、直接こちらの心へとうったえかけてくる何ものかがあったのです。

 そして発見から30年以上が経過し、いくつかの問題が取り沙汰されるようになりました。そして、それらの問題の解決策として、保存すべき壁画が描かれている石室そのものを維持修復のために解体する、という大胆な案が決定されました。今も奈良県明日香村の現地では、着々と解体への準備作業が進められているようです。

 壁画の保存修復の難しさは絵が石室そのものに描かれていることです。石室は古墳のなかに埋設されているわけですから、額装された近代絵画のように自由に持ち運びできるものではありません。この物理的な条件が、今回の問題を難しくするたったひとつの理由である、と言っていいでしょう。

 古墳そのものは築造された頃の姿からはだいぶ姿を変えています。風雨や地震で崩れる場合もあれば、鬱蒼と樹木が生い茂って、古墳そのものの輪郭がわかりにくくなっている場合もあります。高松塚古墳は、昔は松が生えていたことからその名が付いたようですが、壁画発見当時は竹林におおわれた状態でした。

 それでは古墳は単なる「石室を覆った盛り土」に過ぎないのでしょうか。もちろんそのようなことはありません。古墳のかたちそのものも考古学の重要な研究テーマです。古墳の形態には、前方後円墳、円墳、方墳、八角墳……と様々あり、そしてそれぞれに時代による刻印を受けています。形によって時代が特定できれば、被葬者を推定する重要な鍵にもなります。古墳が保存の対象になるのは議論の余地がありません。

 本書は、高松塚古墳の壁画が発見される以前の、1965年に刊行されています。ちなみに私の手元には1980年発行の22版があり、11版以降に付記されることになったあとがきに高松塚古墳についての言及がなされています。本書が刊行されたことには様々な意義がありますが、なかでも当時から注目を集めたのは、宮内庁管轄下におかれている天皇陵についても、タブー視することなく、かなり踏み込んだ指摘をしていることです。それは一言でいえば、「仁徳天皇陵」はほんとうに仁徳天皇が埋葬されているのか、といった大きな問題です。

 そればかりではありません。古墳から私たちは何を読み取ることができるのか、古墳の発掘とはどのような技術的な作業がともなうものであるのか、現代に生きる人間社会の都合でどれほどの古墳が破壊されてきたのか、古墳の「保存」には何が必要であるのか、といった重要な諸問題を、一般読者にもわかりやすく、ときに熱っぽく、しかし想像力過剰になることなく、事実に即した冷静な筆致で書いている点において、本書は格別なものがあります。考古学というジャンルの一冊にとどまらない、名著中の名著といえるでしょう。

 高松塚古墳やキトラ古墳の問題を「ニュース報道」として見ているだけでは、それは「責任者は誰なのか」といった矮小な問題に一般の人々の興味がうつるばかりで、百年二百年単位で考えられるべき本質的議論には結びつきません。

 天皇陵研究のための公開問題は今後どうなっていくのか、高松塚古墳、キトラ古墳の保存問題はどのように考えればよいのか、それらを考える際には、本書を避けて通ることはできないでしょう。ちなみに当時の中公新書の担当編集者は宮脇俊三氏。鉄道紀行ばかりではなく、晩年には古代史をテーマにした執筆活動も始められ、発言もされていた宮脇氏にとって、おそらく本書はおおきな意味をもつ一冊だったに違いありません。現在、古書店でしか入手できないのは大変残念なことだと思います。
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