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原田治『ぼくの美術帖』(みすず書房)

 この本の初版本が刊行されたのは1982年。藍色の函入り、しかし重苦しさのない軽やかな装幀の本でした。ながらく手に入りにくい状態になっていたようですが、この春、みすず書房の「大人の本棚」シリーズの一冊として復刊されました。

 著者の原田治さんはイラストレーションが本業です。なかでもOSAMU GOODSのキャラクター・デザインがいちばんよく知られているかもしれません。OSAMU GOODSと言われてピンとこない方でも、それとは知らずきっとどこかで目にしたことがあるはずです。往年のアメリカの良質なコミックに登場する子どもたちをシンプルに洗練させたようなキャラクターは、おそらくこれから50年経っても古びないものでしょう。

 その原田治さんが、美術をテーマに書いた文章をまとめたのが『ぼくの美術帖』。目次には、ティツィアーノ、ラウル・デュフィ、小村雪岱、鏑木清方、俵屋宗達、富岡鉄斎、岸田劉生などの名前が並び、原田治さんの好みが浮かび上がっている気配が濃厚です。そしてこのような一文を、本書の冒頭にある「はじめに」で見つけたら、美術について何かを述べる人として、原田治さんはかなり手ごわい人であると気づくべきでしょう。

「趣味はと聞かれたら、迷わずぼくは美術と答えます。では仕事と趣味が一緒なのですねと云われたら、ぼくは急いで手を振ってそれを否定します。何故なら現代に生きる美術家は、美術によって糊口を凌いではならないと思っているからです。
 子供でさえ紙とクレヨンがあれば、一人の美術家になれるのが現代文明の良き部分であります。大人が他人に認められる為に絵を描き、ましてそれを職業にするなど、旧文明の蒸し返しに過ぎません。美術に関して我々はもっと開かれた世界に今は生きているはずです。
 従って、人に認められて初めて成り立つ商売のイラストレーターである、つまりぼくは現代の美術家とは呼べぬしろものです。サラリーマンが会社にゆき、八百屋さんが店に大根を並べる如く、ぼくもまた白い紙を色鉛筆でよごしています。
 そして、サラリーマン氏が夕刻のバーでカラオケを楽しみ、八百屋のおじさんが庭の盆栽に手を入れることに等しく、ぼくは美術館の廻廊を巡るのです」

 美術に対するこのようなスタンスは、おだやかな自由さとなって、最初から最後まで揺らぐことなくこの本の目の位置を保っています。とにかく、美術館や展覧会に出かけていく。美術史の常識的な解釈や格付けから離れて、とにかく絵そのものを見る。 原田治さんが美術館の廻廊を巡る姿勢は、いわば「丸腰」です。しかし「丸腰」だからこそ、見えてくるものがある。本書のなかでも熱い思いがじわじわと伝わってくる俵屋宗達の章にはこんな文章が登場します。

「ぼくは絵画を見る時に、いつも神秘的体験を期待します。ただ美しいだけのものなら、野に咲く花の方がずっと好きです。神秘主義といっても、ヨーロッパの宗教画のように、明らかにそれを意図したと判るものも苦手です。教条主義的なテーマが背後にあって、単なるイラストレーションとしか受け取れません。日本の仏画も同様です。神秘的であっても、美を直接目指すものではないからです。宗達を見ると、まずそこに美しさを感じます。それは同時にただの美ではなく、神秘的空間への入口なのです。そしてその内へ入るも出るも鑑賞者の自由にまかせています。純粋な美術は、かくあるべきだと思います」

 やわらかい、やさしい文章で書かれていても、本書は実はかなり骨太です。「丸腰」で美術と対面しながらも、場当たり的な気まぐれの印象批評になっているわけではないからです。本書のちょうど真ん中あたりに置かれている「美意識の源流」の章では、まさにタイトルどおり縄文美術までさかのぼる視線が用意され、その視線はそのまま俵屋宗達の美術にまで伸びてゆく。俵屋宗達を縄文美術と結びつけるきっかけには、岡本太郎や谷川徹三の先行する文章が引用されていますが、しかしやさしい顔をした原田治さんの文章は、ためらうことなく先人にガブリと噛みつき、吠えかかることに躊躇しません。「丸腰」のサムライに後ろから飛びかかるものがあれば、投げを打つ。胸のすくような瞬間を持ち合わせた本でもあるのです。

 絵を見ることは、言葉から離れた場所に身を置くことです。言葉に置き換えることのできない経験が、絵を見ることのありがたさなのだと思いますが、見たあとはどうしても語りたくなってくる。人によっては書きたくもなってくる。言葉から離れた場所で絵を見ていると、次には言葉によって絵を理解したい、鑑賞し直したい、と思うのが人情というものでしょう。しかし美術批評というものは、美術批評的な言葉の海にぷかぷかと浮かびながら、あたりの浮遊物に手を伸ばし、適当に組み合わせてこちらに投げつけ、あとは知らん顔、となりがちです。一度は言葉から離れた場所に身を置く。そこから見えてくるものをじっと待つ。『ぼくの美術帖』はそんな姿勢に貫かれています。美術館の廻廊を巡るとき、もつべき友は、このように忍耐強い、静かなサムライです。
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