Kangaeruhito HTML Mail Magazine 204
 かつおぶしのかけら

「考える人」創刊号で養老孟司さんにロングインタビューをしたとき、中学高校時代の話になりました。養老さんが学んだのは神奈川県の栄光学園。戦後まもなく創立された同校は今や天下に轟く名門校ですが、養老さんはその4期生でした。まだ1期生の大学受験の結果すら出ていない「新設校」だった時代です。養老さんのお父様は養老さんが4歳のときに亡くなっています。栄光学園を進学先に選んだのは誰だったのでしょうか。養老さんの話──。

「中学校は受験をして栄光学園に入りました。母と姉が相談して決めたんです。日本の親っていうのは、こういう時はほんとうによく調べる。いい教育を受けさせるにはどこが一番いいかって。自宅から電車で十五分、そこから四十五分歩いて学校に通いました。毎日の運動がよかったせいか喘息もでなくなった」(「考える人」創刊号インタビュー「挨拶のできない子供」より)

 無口で挨拶のできない、虫好きのおとなしい子供だった養老さんにとって、栄光学園での6年間はかなり大きな意味を持ったようです。そのくだりを引用しておきましょう。

「校長はドイツ人で筋金入りの軍国主義者みたいに見える人。校則も厳しい。三日遅刻したら一日欠席とみなす。欠席何日で落第。抜き打ちテストもあって、主要科目が二つ駄目だと落第です。挨拶も厳しい。いつも神父の目が光ってる。教室に入ったら先生が来るまで瞑目。休み時間は必ず外に出なくちゃいけない。子供は外で遊ぶものだという考えです。これは重要ですよ。二時間目が終ると冬でも上半身裸で行進する。ほとんど修道院か軍隊です」

「栄光学園の何が良かったかというと、教育を損得でやってないということ。職業じゃなくて奉仕なんだ。本当に学生のことを心配してくれる。余計なお世話なんだけど、あれだけ誠心誠意余計なお世話をする人がいる、ということを教わるのって大事なことだと今は思います。日本語の奉仕って何か胡散臭く聞こえるけど、それとは違う。神父さんとわれわれの間には、PTAとか教育委員会とか文部省とかそういうものが入る余地はないんだ。相手のことを真剣に考えて何かしてくれた、という感覚は今も残ってますよ」

 他の機会に養老さんと雑談していたとき、栄光学園に6年間いてもうひとつ良かったと思えるのは、カトリックの学校で宗教にふれたこと、だったそうです。東大医学部の教授時代に、教え子がオウム真理教に入信し、「尊師の奇蹟を見に来てほしい」と養老さんに話しかけてきたとき、養老さんは少なからぬ衝撃を受けます。どうして医学部の学生である彼がそのような種類の「飛躍」にやすやすとのってしまったのか。おそらくそれまでの彼は宗教というものに触れる経験がなく、宗教に対する免疫がなかったのではないか。だからこそブレーキもかかることなくスーッと取り込まれてしまったのではないか。養老さんはそう考えたといいます。ミッション・スクールで学ぶことによって、かえって宗教に対する批判的な視点、距離感のようなものが養われることもあるのだ、と養老さんはとらえていました。

 今回のイスラーム特集で、なんとかして実現したいと思い、ぎりぎりまでねばった小さな企画(見開き2ページだったのですが……)がありました。それは当初予定していた特集の項目には入っていなかったテーマです。特集の取材を進めているうちに、担当者のSさんから「20代の日本人女性で、イスラーム教の信者になった人に会った」と聞いて、それはぜひ「いかにして信者になったのか」の話を聞いてみたいと思ったのです。

 彼女へのインタビューはぜひ最新号で読んでいただければと思いますが、そのなかで彼女はこんなことを言っています。

「ムスリマ(イスラーム教の女性信者のこと)の立場で、今の日本社会を見ると、みんな、よく自分を見定めて生きていけるなと思います。それぞれの人が自分の生きる意味、なぜ生まれたのか、これからどうなるのか、そういうことをどうやって見つけるのかなと。たとえば、キリスト教やユダヤ教を信じる人も、ムスリムと同じように、そういう軸を持って生きている。
 でも、一般の日本人は、若い人からお年寄りまで、そういう軸がない。人生の選択肢がこれだけある社会で、どうやって最良のものを見つけていくか、それはとても大変なことだと思います」(「わたしがムスリマになった理由」=「考える人」06年秋号特集「家族が大事 イスラームのふつうの暮らし」より)

 彼女の「軸」という言葉にこめられたものは、一言では片付けられないものがあります。養老さんは中学高校時代にキリスト教という「軸」に触れ、何かを受け取り、やがて「軸」の外側の医学のフィールドで人間を考えるようになった。そこで自分のあらたな「軸」を見つけ出す。オウム真理教に帰依した東大医学部の教え子は細い糸のように、新興宗教の「軸」に巻き取られてしまった。イスラーム教の信者となった彼女はあらたに出会った「軸」を得て心の安定を得ている。

 宗教は毒にも薬にもなります。それは分量によってなのか、タイミングなのか、宗教はその人のなかで、どこでどう転ぶかわからない。いずれにせよ、人間の感情を深いところで左右するものであることは間違いありません。おそらくは原人のあとに現れたネアンデルタール人が、亡くなった人を埋葬する際に花を手向け始めた頃から、現在までとぎれることなく続いてきたこころに根ざす問題です。

 私たちは、その「軸」をどこに見いだせばいいのでしょう? ムスリマとなった日本人女性が言うように、具体的な宗教とは縁のうすい私たちには、本当に「軸」が失われたままなのか。宗教が遠いとすれば、そのかわりになるものは何か。家族? あるいは会社? 仕事にそれを求める人もいるでしょう。子どもがすべて、という人もいるのかもしれない。

 昨晩、東京・渋谷で行われた平松洋子さんの「ドゥ マゴ文学賞」授賞式にうかがいました。ご存知のとおり平松さんは小誌の創刊号からの執筆者です。受賞作は『買えない味』(筑摩書房)。授賞式での平松さんのスピーチに、感銘を受けました。黙々と原稿を書いているとき、それまでは思い出しもしなかったような記憶がふっとよみがえることがあるそうです。受賞の知らせが届いたこの夏に、仕事場で原稿を書きながら思い出したのは、かつおぶしのこと。小学生のころ、夏休みになると、かつおぶしを削るのは平松さんの役割だったそうです。はじめは子どもの手には余るほどの大きさだったかつおぶしが、ひと夏削り続けるうち、しまいに短い鉛筆ぐらいに小さくなり、透明な赤紫の貴石のようなものになる。幼い平松さんは、それを自分の宝物のようにビロードの袋に入れ、大切にしまいこんだそうです。毎朝の仕事には削る音があり、手の感触があり、匂いもある。親に手渡すときの充実感もあったでしょう。そしてひと夏という時間の経過が、かつおぶしを貴石のようなものに変えた。四十数年を経て、平松さんはこのかつおぶしのかけらを思い出すのです。この経験を私たちは何と名付ければよいのでしょう。

 毒にも薬にもならない日常のこと。そこにこそ私たちの「軸」になり得るものがある(あった)のではないか。平松さんのお話を聞いていて、私はそのように腑に落ちる気がしました。台所の小さな世界にも、神そのものではない、私たちを浄化する何かがある。そして小さくなったかつおぶしのイメージはあざやかな感触をともなって、私のなかでもまるで自分自身の経験のようによみがえりました。

 平松さんの『こねて、もんで、食べる日々』(地球丸)という単行本があります。人間の手がどれだけのことをこなしているか。平松さんはそれを見事に描いています。思わず自分の手を見つめ直すような本です。人間の手が果たしていた役割が、次第に少しずつ失われていく。忘れられていく。手に宿る感覚の素晴らしさを思い出させてくれる名著をふたたび本棚から引っぱり出して、読んでみることにしようと思います。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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