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三谷龍二『僕のいるところ』
(主婦と生活社)

「考える人」で連載をお願いし(2003年夏号から2004年春号まで)、小社から単行本『木の匙』も刊行されている三谷龍二さんの最新刊です。三谷さんについては、あらためて紹介するまでもないような気もしますが、いざ初めての人に三谷さんを何と言って紹介すればいいのかを考えると、なかなか難しいところがあります。そこが三谷さんの「三谷さんらしさ」のあらわれなのですが。

 小社のホームページの著者紹介によれば、「工芸家、木工デザイナー。1952年福井生まれ、1981年長野県松本に工房開設、木のうつわをふだん使いの食器として提案、個展多数。他に立体や平面作品も手がける。クラフトフェアまつもと発足より運営に携わる。『住む』、『日々』他、生活文化誌に連載・寄稿中。」とあります。

 最初の本のタイトルである『木の匙』にも表れているとおり、三谷さんの仕事に欠かせないものは「木」です。私たち人類は、火をおこす、道具を作る、家を建てる、といった生活の基本にあるものについて、ながらく木に頼る生活を続けてきました。しかし産業革命後、木の地位は相対的に右肩さがりとなり、生活に占める割合はどんどん少なくなってしまいました。

 大量生産に適していること、材質の均質性、強度、耐火性……などなどの条件を満たすためには、金属のほうが圧倒的に優れています。住まいのことだけ考えてみても、私が小学生だった1960年代には木製サッシは珍しくありませんでした。しかし今建設される家で、アルミサッシではない木製の窓枠は滅多に見かけなくなりました。

 しかし、木が私たちに与えてくれるものには、便利さだけでは説明できない何かがあります。会社でいま使っている机はふつうのスチール机ですが、天板には「木目調」の合板が薄く貼り付けられて、機能的には何の意味もなく無垢の木の感触からはほど遠いものではあります。しかしそんな木目でも、見ているとなんとなく落ち着く気持ちにはなるのです。

 漆で仕上げた木の器は、電子レンジや食洗機では扱えません。そして洗剤を使ってごしごし洗えないのでは? といった扱いづらい印象(これはよくある誤解で、洗剤は使えるそうです。使ったり洗ったりすればするほど、漆の艶は増すらしい)……など、どう考えても利便性には欠けるものの、しかし椀として使ったときの手ざわり、口の感触には、プラスチックの器では味わえないものがある。やはり木に独特の何かが存在するのは間違いありません。

 前置きが長くなりました。本書は、三谷さんのこれまでの人生の記憶と、いまの暮らしの断片を、三谷さんの作品とともに絵本仕立てで見せてくれるものです。もの干し台、押し入れ、初めてのデート……セピア色の記憶と、長野県松本市にある小さな木造の小屋で暮らす三谷さんの現在の日々のスケッチが、短い清潔な文章でつづられています。三谷さんというのはどんな人で、何をやっている人なのか、ということが、しみじみと伝わってきます。

 本書を読み終えて感じたのは、人がなぜ今もなお、木で作られたものを使い続けているのか、という疑問に対する「答え」のようなものがここにある、ということでした。それは、人は記憶というものをよりどころにして生きている生きものであり、記憶を喚起し、記憶の存亡を左右する時間の経過を意識させてくれるものが「木」なのだ、ということがひとつ。もうひとつは、大きなシステムのもとで追い立てられるように働くのではなく、自分が自分の主人で、しかし何か目に見えない「尊いもの」に向き合いながら働いていると思える瞬間がある──そのような場面にこそ「木」はふさわしい、ということでした。三谷さんの仕事に私たちが惹かれる秘密は、どうやらそのあたりにありそうです。
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