特集「堀江敏幸と歩くパリとその周辺」で堀江さんが訪ねたもう一人の作家は、日本でも多くの翻訳があるフランス文学界の重鎮、ミシェル・トゥルニエ氏です。1967年、43歳のとき、『フライデーあるいは太平洋の冥界』でアカデミー・フランセーズ賞を受賞。遅いデビューでしたが、この本はなんと、世界で700万部のベストセラーに。70年には第二作『魔王』でフランス最大の文学賞、ゴンクール賞を受賞し、72年から現在まで、アカデミー・ゴンクール会員として同賞の選考委員をつとめています。

ミシェル・トゥルニエ氏の住まいは、パリ近郊、ショワゼル村にありました。こぶりのレンタカーに乗り込んでパリ市内を南西方向に抜けると、ほどなく田園風景が広がって、空がとたんに大きくなります。さらに一時間ほど走るとシュヴルーズの谷があって、空気もぐっと清涼に。その先を川沿いにさらにゆくと、人口600人ほどの小さな村、ショワゼルがあります。この村にある司祭館で、トゥルニエ氏は、すでに半世紀ものあいだ、ひとりで暮らしているのです。司祭館ですから、すぐ隣はいうまでもなく村の教会です。

木立のうえに教会の尖塔が見えたので、ああここだとわかった。緑豊かな細道の、片側に沿ってつづく石塀の前で先に車を降りてちらりと門のなかを覗くと、写真でも映像でも何度か見たことのある石造りの白い司祭館が建っていて、十字架をあしらったペディメントの真下の石段を数段のぼった入り口に、薄い空色の帽子をかぶったミシェル・トゥルニエさんの姿が見えた。

気難しそうなご老人を想像していた私たち一行を、トゥルニエ氏は、輝くような笑顔で迎え、まず裏庭へと案内してくれました。トラッサール氏の庭にもあった花盛りの菩提樹、手ずから植えたという樫の木、樅の木、白樺。小鳥のえさ台。気配の薄い小さな猫たち。整えられた美しい芝生の奥のほうにこんもりとしたなだらかな小山があって、それは、母上のお墓ということでした。

住まいのこと、かつて訪れた日本のこと、長くそばにいた写真家エドゥアール・ブーバのこと、みずから真剣に取り組んだことのある写真という表現のこと、毎年のゴンクール賞騒ぎのこと、子どもたちへの出前授業のこと、そして自作のこと。穏やかに静まりかえる午前中のひととき、少人数のゼミのように、さまざまなことを表情豊かに語ってくれたトゥルニエ氏。執筆中の作品の朗読というすばらしいプレゼントもあった幸福な時間を、ぜひごいっしょに味わっていただければと思います。