Kangaeruhito HTML Mail Magazine 233
 うめ

 うめ、と名付けられた小柄な猫は、人なつこいキジトラの野良猫でした。一度会うとその人を匂いで記憶してしまうのか、最初に会ってからずいぶんと時間が経って道ばたで再会したとき、間髪を入れずに、かすれた小さな鳴き声をたてながらいそいそとこちらへ近づいてきたのです。最初は私に向かってくる理由がわからず、食べものの持ち合わせもないし、さてと困ったな、何もないんだけど、と言いたくなるような気持ちに襲われました。

 家でむかし飼っていた猫たちは、餌の準備に入ったことを嗅ぎつけたときか、くしゃくしゃに丸めた紙の玉を廊下の遠くのほうに投げてもらいたい一心で、口にくわえながらこちらに運んでくるときぐらいにしか、一直線にやってくることはありませんでした。子猫の頃から手なずけたとしても、無防備な表情ですいすい近づいてくることなど滅多にない、というのが猫という動物の本来的で譲れない気質だとばかり思っていたのです。

 なんの迷いもなくこちらに向かってくる様子には、少し気圧されるものがありました。そして、こちらに要求しているのは餌ではなく、「かまってやること」であるらしいと気がついたとき、なんとなく居心地のわるさも覚えました。ミャーオとは鳴かず、ミーヒャッ、ミーヒャッ、と鳴き声が最後にかすれて尻切れトンボになるところも人の気持ちを理由もなく波立たせます。しかも鳴きながらときおりお尻のあたりを緊張させてふるわせるようなそぶりもするので(言い忘れましたが、うめは雌猫です)、ますます挨拶に困るのです。

 野良猫と言いましたが、住んでいるのは「中山間地」と呼ばれる、畑と山林のなかに農家が点在する田舎の村。冬の最低気温は連日零下が続く地域です。近所には朝晩かかさずうめに餌や水を与えている人がいて、玄関先には使い古しの毛布を敷いた段ボールまでもが用意されていました。ほかにも食事と寝床を提供されている野良猫「さくら」と「しろ」もいました。だから正確には半野良猫、いわゆる「外ねこ」だったのです。しかし人なつこいのはうめだけで、他の二匹はつかず離れずのスタンスで、けっして近寄ってくることはありませんでした。

 うめの人を求める気持ちには、人に世話をされているとかいないとかというレベルでは説明できない、猫として破格のものがあることは、たしかでした。それになんであんなにかすれた鳴き声なんだろう、小柄なのに電圧が高いような、不思議なエネルギーが満ちているようにも見える。たぶん生まれながらの人恋しい猫なのに違いないのですが、でもその人恋しさはいったいどこからやってきたのか。あるいはうめの前世は、実は毎日ちぎれんばかりに尻尾をふっていた人なつこい犬で、猫として生まれ変わってもなお自分が猫であることを自覚できずにいるのでは……などと無駄な想像ばかりがふくらんでゆくのです。うめはたのしい謎でした。

 二年前の秋。小学生の娘がなかば遊びながら落ち葉を掃き寄せていたとき、どこからかうめが姿をあらわしました。姿勢を低くして、ゆっくりと狙うように近づいて飛びかかる寸前と見えるのは娘の使っている竹箒の先でした。その因果関係に気がついた娘が、後ろ手に竹箒を引きずりながら小走りに駆け出すと、うめは「待ってました」とばかりに竹箒を追いかけ始めます。すっかり葉を落とした桜の大木のまわりを、ぐるぐるとまわる追いかけっこが始まり、娘が疲れ果てその場に座りこむまで、飽きずに続きました。

 娘のそばに並んで、桜の木の下で満足そうに小休止しているうめに近づいてみると、うめは前脚を少しずつ交互に動かしています。喉もごろごろと鳴っている。おやおや、メイク・ブレッドをしている! 猫について書かれた伊丹十三さんのエッセイで初めて知った「メイク・ブレッド」とは、猫の機嫌がいいときに無意識に出てしまう動作のこと。

 母猫のおっぱいを飲みながら前脚で乳房を揉むようにしていた子猫の、いわば至福の時間の記憶が、からだとこころの奥深くに刻印されている。それがたとえば寒い冬の夜、ふとんのなかで飼い主と寝ているときに甦り、ごろごろと喉を鳴らしながら毛布だの飼い主のお腹だのをぐいぐいと揉むようにするのです。その動作がパン種をこねている様子に似ていることから、「メイク・ブレッド」と呼ばれるようになったらしい。昔飼っていた猫は、ごろごろと揉む動作が最高潮に達すると、まぼろしのおっぱいに向かって口まで近づけてゆき、目もつぶってしまうのでした。

 しかし、屋外にいながら地面を揉むようにするなんて、初めて見るものでした。うめはいつでもどこでも機嫌がいい。ヒンヤリとした秋の空気のなかで聞くうめのごろごろは、ふとんのなかの湿ったぬくもりのような、眠たいもやもやのようなものを、あたりに発散しているかのようでした。生きていることはすばらしい、ここにこうしているだけで。うめの表情を人間の言葉に置き換えれば、そのようなものになるはずでした。

 先日の連休のある一日、半年ぶりで訪れた田舎で、うめの世話をしていたMさんに会いました。少し悲しげな笑顔で、うめがしばらく前から姿を消してしまった、と言うのです。「あれだけ人なつこい猫だから、誰かに気に入られて持っていかれたのかもしれませんね」と私は言いました。Mさんは「そうかなあと思うんだけど」と言って黙りました。うめがぐるぐると走り回っていた桜の大木は満開の時期を過ぎて、花びらを風に吹かれるまま、あたり一面に散らしていました。誰か知らない人の家の居間で、まだ片付けられていないコタツでのんびりと、うめがメイク・ブレッドをしている光景が頭のなかに浮かびました。(つづく)

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
Copyright (C) 2007 SHINCHOSHA All Rights Reserved.