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梅田望夫/茂木健一郎『フューチャリスト宣言』
(ちくま新書)

 たった今の、目の前にある「状況」をどう考えればいいのか? 政治、経済、社会、文化の領域で、日々刻々と立ち上がってくるもの。私たちはそれらの影響から無縁で生きてゆくことはできません。しかし、「考える人」は刊行のサイクルがのんびりした季刊だということと、雑誌のゆるやかなスタンスとして「故きを温ねて新しきを知る」ことに重心を置きたいと考えていますから、「たった今」について真正面から直球勝負で取り上げることには、あまり積極的ではありません。

 もちろん世の中の流れについて無関心でいられるほど達観しているわけではないので、自分がこれからどうやって暮らし、生きてゆくのかについて、くっきりと明確なものではないにしても輪郭のようなものぐらいは見当をつけておきたい。だから、政治、経済、社会、文化の新しい動きについては、それなりの関心を持ちながら日々を送っています。

 梅田望夫さんは『ウェブ進化論』、『ウェブ人間論』(平野啓一郎氏との共著)などの著作で知られるアメリカ、シリコン・バレー在住の方で、茂木健一郎さんは『脳と仮想』によって小林秀雄賞を受賞した「考える人」の常連執筆者。梅田さんは1960年生まれ、茂木さんは1962年生まれ。お二人ともかなりのアクセス数を誇るブログを持ち、「たった今」についても積極的にかかわり、日々発言もされています。

 そのお二人が、インターネットをテーマに直球勝負で語り合ったのがこの本。これが予想を超えて面白かった。なぜ面白いのか。それは「たった今」のインターネットの状況をわけ知り顔で解説する、というようなスタンスではまったく語られていないからだと思います。インターネットによって与えられている新しい世界のひろがりを前にして、お二人はその世界とどのようにして関わりながら生きているのか。個人としての切実さのなかでしかインターネットを語ろうとしない潔さが、この本にはぎっしと詰まっているのです。

 面白さの理由にはもうひとつあります。この本が、個人と組織のあり方を変えつつあるものとしてインターネットをとらえているということ。個人と組織が今後どのように変貌してゆくのか。それがこの本の隠れたテーマでもあるのです。たとえば茂木さんはこのように発言しています。

茂木 僕はこれからの時代における個人と組織の関係は、所属というメタファーではなくてアフィリエイト(連携)というメタファーでとらえるべきだと思っています。そんなことをある時に思いついて、気が楽になったんですよ。日本人って所属が大事だと考えがちですが、いまは個人として屹立するためのインフラがネット上にちゃんとある。昔であれば、たとえば梅田さんがコンサルティング会社にいるなら、その組織をバックにものを書いていた。どこどこ会社の誰々です、と説明して初めて個人として信用してもらえる。ところがいまはURL、ブログがあればいい。ネット上のプレゼンスがその個人を支えるインフラ。それを見てもらえばどういう人かわかるから。僕はいろいろな人に『これからは、個人の信用はネットで保証すれば良い。誰が最初にそれに気づくか。それに気づいた人がこれからは輝くよ』と言っています。つまり、ある組織に所属するということで完結している人は、これからは輝かない」

 個人と組織は、弱者と強者と言い換えることも可能かもしれません。梅田さんの以下の発言は、「格差社会」の権化のように言われることの多いアメリカについて、また別の視点を与えてくれはしないでしょうか?

梅田 みんなフェイス・トゥー・フェイスであることがものすごく大きな価値なんだと言っているし、僕もそう思っていたんですけれど、あるとき、本当にそうかな? と思って。フェイス・トゥー・フェイスだからというだけで、本当にコミュニケーションが取れているのか、ネットでどこまで代替できるか試してみようと思い始めた。ブログのコメントなんかでもかなりコミュニケーションが取れるし、結果が文字で残る。
 じつは、アメリカで生きる僕の視点は、弱者の視点でもあるんですよ。カンファレンスみたいな場では特に、英語がかなり上手でないとけっこう弱者ですよ。そういう弱者の視点でアメリカに住んでいると、全然見えるものが違ってくる。日本に帰ってくると、日本語でインパクトのある言葉を使って意味のある議論を引き起こしたりできますが、アメリカのカンファレンスの場で、僕くらいの英語じゃ、とても自分が考えている深いことを一〇〇%きりっとした言葉にして大向こうをうならせる自信はちょっとありません。
 あるいはフェイス・トゥー・フェイスでコミュニケーションをとっても、まあだいたいわかるけれど、記録には残らず記憶が頼りになる。でもネットだと文字や音でそれが残るから、もう一回見たり聴いたりすることができたり、ある人のスピーチについていろんな角度から多くの人がしゃべっているものが読めるなど、再現性に加えてある種の俯瞰性も得られる。そして、大切な情報は全部そのまま保存することができる。『資料なんでも持ち込み可』の試験みたいなイメージになるわけですね。僕は、自分がアメリカで経験している弱者の視点というのがとても大事だと思っていて、そういう観点でネットと社会の関係を考えていき、ネットの可能性はとてつもなく大きいと発見したんですよ」

 インターネットにしてもアメリカにしても、「悪者」扱いするのは簡単ですが、そのように物事を単純化しても結果として得られるものは少ない気がします。お二人も徹頭徹尾、手放しでネット社会を礼賛しているのではありません。ネットがもたらす社会の大きな枠組みの地殻変動をどうとらえるのか。本書が示唆するものの奥行きや幅は、私たちがいま想像しているものよりも遙かに大きいかもしれないのです。
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