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今井信子『憧れ ヴィオラとともに』(春秋社)

 吉田秀和さんが国語を、丸谷才一さんがギリシア神話を、遠山一行さんが音楽史を教える高校があったとしたら、どんなに贅沢だったろうと思います。本書の著者であるヴィオラ奏者の今井信子さんはそのような錚々たる顔ぶれの先生が教壇に立つ学校の生徒でした。学校を率いていたのは、戦後日本の音楽教育を語る上で欠かすことのできない、サイトウ・キネン・オーケストラとして今もその名を残す斎藤秀雄です。今井さんが学んでいた桐朋学園音楽科は、当時はまだ一学年の生徒数が五十人足らず。今井さんの言葉を借りれば「寺子屋のような」学校でした。

 いまもしプロフェッショナルな演奏家を目指すとしたら、すでに高校生ぐらいの年齢で海外で修業しているのは半ば当たり前のこと、あるいは必須条件なのかもしれません。しかし今井信子さんは、「寺子屋のような」日本の小さな学校で、日本人の友だちと遊ぶように音楽を学び、その後の人生の進路を決めるような圧倒的な影響を受けています。演奏家としての自覚を持つようになったのは、この学校から与えられた刺激によるものが大きかったのだ、ということが本書を読むとはっきりと伝わってくる。斎藤秀雄は実に泥臭い先生でした。たとえばこんな啖呵を切ることもあるのです。

「演奏解釈」の授業では、誰かが一曲弾かされて、それに対してほかの生徒が意見を述べることになっていた。みんな、何も言わない。焦れた先生の声が「きみたちは、いったい何のために音楽をやっているのかあ! 誰のためにやっているんだあ!」と高くなる。いきなり聞かれても、ますます答えられない。何となくやらなくちゃいけないと思って、というあたりが本音か。誰かが「自分のために……」と言った。そうかもしれないな、と私も思った。すると先生は激怒した。「そんなことはとんでもない! 自分のためになんて言うな! 人のため、芸術のためにやっているんだ」。私たちの仕事は音楽に奉仕することだ、ということがわかりかけてきたのは、あの頃からだろうか。(今井信子『憧れ』より)

 ヴァイオリンよりも音が低く、その響きに独特の深みと丸みがあるヴィオラという楽器は(今井さんの言葉によれば、ヴィオラの音色は「鮪でいえば大トロ」なのだそうです)、今でこそ注目を集め、ソリストのコンサートも聴く機会がありますが、本書によれば「一九六〇年当時の日本には、ヴィオラのソリストは存在しなかった。室内楽のヴィオラ奏者として活動していた方たちも、オーケストラに所属していた。そもそも、桐朋にはヴィオラ専攻はなく、先生さえいなかった」。そんな状況のなかで、今井さんはなぜヴィオラという楽器を選ぶことになったのか。

 本書の読みどころはたくさんあります。ヴィオラのソリストが存在しなかった日本で、その第一人者として世界でも認められるようになるまでの成りゆきは、下手なドラマよりはるかに面白い。偶然とは思えない人との出会い、悩ましい岐路での勇気ある決断。最初の夫とのあいだに生まれた長男の子育てと演奏活動がいかにして両立できるか、できないか。国際コンクールというものの人間くさいリアルな舞台裏。弦楽四重奏室内楽団で演奏することの人間関係の難しさ。海外で活躍するための演奏家としての言語能力の必要性。二度と手に戻らなかったかもしれないヴィオラの盗難騒ぎ。二度目の結婚と出産、やがて訪れる家庭の危機的状況。バルトークの自筆譜をめぐっての疑問を解決するためにバルトークの息子を訪ねる話……などなどいずれのエピソードも、今井信子という人間が、つねに前を向き、自分の頭で考え信ずる方向へと進む人であったことを私たちに真っ直ぐに伝えてきます。

 今井信子さんは演奏家としての活動にならんで、後進の教育者としての活動にも力を入れています。現在ベルリン・フィルで活躍するヴィオラ首席奏者清水直子さんも今井さんの弟子のひとり。おそらく今井さんの原点であった桐朋学園音楽科での恩恵に対して、何かを返してゆきたいという思いもあるのにちがいありません。今井さんが力を入れているスイスの小さな音楽院で、教え子たちと一緒に演奏をし、CDの録音をすることを企画したとき、音楽院から「学生たちに対価を支払って欲しい」と言われ、今井さんは最後まで抵抗します。そのときの今井さんの思いはこのようなものでした。

 音楽の教師が学生に第一に教えるべきことは、テクニックではない。音楽そのものでさえない。本質的な倫理感だ。私たちは、お金のために仕事をするのではない。音楽という芸術に奉仕する気持ちで仕事をするのだ。そして、音楽をする喜び、音楽への憧れがなければ何の意味もない。それを学ぶことが、何より大切なのだ。お金というのは怖いもので、人の気持ちを変えてしまう。いったんお金を手にするようになると、すべてを金額との対価で換算するようになる。私は、スイスの学生たちにはお金と関係のない純粋な経験をしてほしかった。

 私は年に一回は、コンサート会場で今井さんの演奏を聴いています。それは毎年三月、お茶の水のカザルスホールで、プロデューサーであった萩元晴彦さんを偲ぶコンサートが一晩だけ催されていて(本書にはカザルスホールと萩元さんについてのエピソードもたっぷりと登場しています)、その企画と演奏に今井さんが深くかかわられているからです。今年三月の演奏会も素晴らしいものでした。もしご興味がおありでしたら、下記のホームページに記されている連絡先までお問い合わせください(※情報はメルマガ配信当時のものです)。

http://www.music.co.jp/classicnews/cm/hagimoto2007.html
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