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色川武大『怪しい来客簿』(文春文庫)

 これまでに何度となく手に取り、読み返した短篇集です。小説集ではあるのですが、色川武大という大きな存在のつぶやき声に似た語り口が、どっしりとした大地のように物語を支えているので、これがフィクションであるのか、そうではないのかを問うことはあまり意味がないように思われる──これは、そのような種類の小説なのです。そして、「そのような種類の小説」には、滅多に出会わない。

 最初の一篇、「空襲のあと」の冒頭から、スーッと読み手の前に立ちふさがるようにして現れる、語り手の迫力のある後ろ姿が見えるようです。色川さんという人がどういう人であるのか、そして色川さんの小説がいったいどのような視点と文体で成立しているものなのか、そんなことがたった数行で伝わってくる。色川さんの低い声のトーンが重なって聞こえてくる。そんな出だしです。

「来客というものはおかしなもので、不意の来客はそれほど驚かないが、きまりきった客が何か約束があって私の家を訪れてくるというような場合、なんとなくこちらも身構えるような気分になる。怖いというほどではないが、先方が、電車の吊皮にぶらさがったり車の中にうずくまったりしながら、一路、私のところをめざしてきている。その姿を思うと、やはり、なんだか怖い。本来は遊びにくるのであるが、そうやって一直線に私の家に入ってきて、何かのはずみで勢いあまって、どういうことをやりだすかわからない」(「空襲のあと」 色川武大『怪しい来客簿』より)

「不意の来客」とは、身も蓋もなく言ってしまえば色川さんにとって人生で起こる様々な出来事、あるいは人生そのものと読み替えることも可能です。そして「不意の来客はそれほど驚かない」というのは、すなわち色川さんの人生に対する独特の構え方と解釈することもできるのではないでしょうか。40代の後半になって、雑誌「話の特集」で『怪しい来客簿』の連載を始めるまでに、色川さんがたどってきた人生の様々な出来事をここで簡単に要約するのはできません。しかしこの本を読めば、その様々な出来事の断片が具体的な言葉とともに濃厚に、確かなものとして伝わってくる。

 なんだか怖いのは、「きまりきった客」だと色川さんはいう。怖ければ、私なら逃げ出すでしょう。しかし色川さんは逃げ出さない。逃げるどころか、内心はどうであれ、外部の人間からは泰然自若としているとしか見えないようにして、そこにとどまっている。とどまって、しかもその怖いものを見るのです。耳も澄ませる。匂いも嗅ぐ。訪れるまでの、その来客の人知れぬ人生にまで想像を働かせ、慎重な手つきで、ある確かな像を浮かびあがらせてしまうのです。

 この短篇集の最後に収録されている「たすけておくれ」は、色川さんが実際に経験した胆石の手術と入院の日々を描いたもの。冒頭を引いてみましょう。

「なんまいだぶつ、とはいかなる意なりや、と試みに僧侶に訊ねてみると(浄土真宗の僧侶であったが)、ああそれは、たすけてくださいということです、と答える。この回答は、私のような仏教の門外漢をも、なるほどと感じさせるものがある。
 では、誰に助けを求めているのですか。
 誰に、というものでもないのです。ただ、そう念じるのです、一切のものに。
 仏教というものは、万物の見境いをつけないところが特徴だから、一切という言葉が得意で、また重宝だ」

 色川さんの胆石は、かなり大きなものになるまで放置されていたらしく、しかしついに「激痛はすこしもおさまらず、呑み喰いもできないし、腹から背中にかけて横にひと筋、帯のように腫れがきて横になることもできない。私はたっぷりまる二日間、かけ声をかけながら部屋の中をぐるぐる歩きまわっていた」という状態になり、病院に行くと「私は脱水状態にあり、脈不整、血圧二百数十、白血球は健康人が四、五千のところを四万ぐらいに増えていた。よくここまでこれた、といわれた。私は痛みがひどいだけで、いつもの私だと思っていた」。
 
 ある出版社の社長から紹介されたその病院の「胆石の名医」を、色川さんは激しい痛みのなかでもしっかりと見るのです。ちょっと長くなりますが、引用します。

「彼は典雅な美男子で、そのせいか青年のように見えたが、あとで年齢をきくと私とそうちがわなかった。この私立病院の院長の娘婿だそうで、なるほど院長に見こまれそうなタイプに思える。内科の医者とともどもに毎日廻診に来てくれたが、いつまでたっても慇懃な口調のままだった。打ちとけないというのではない。眼はいつも和んでいる。ふっと、この人は麻雀をやらないだろう、と思った。しかし酒は、大酒を呑むかもしれない。
 眼は和んでいたが、同時に気むずかしさも湛えていた。何等かの条件で孤独に育ったり、逆にあまりに順調に来すぎたりして、他人とかみあわずに来ているか、或いはまた、職業のうえから肉体を直接知悉してしまうためにもうこれ以上のつながりはごめんだとしているのか、いずれにしてもその影響で優しさや、義心や、軽はずみなものや、揺れ動く感性を充分持ちながら、それらがすべて内向しているようであった。そこが名医らしくもあり、名医らしくなくも見える」

 紆余曲折あった人生経験に何重にも裏打ちされた色川さんの観察眼が実によくあらわれている文章です。ところがまだ、さらにその先がある。この文章の後にすぐ続く、次に引用する部分を読みのがすわけにはいきません。色川さんの人生哲学が否応なくにじみ出ているからです。名医に対する色川さんの判定は、結局どうだったのか。 

「とにかく彼は、対人関係だけでなく、すべてのことに慣れず、慣れようともしていなかった。その結果、中年に達しながら、まだ自分の楽な姿勢をみつけていない。妙ないいかただが、そこを私は信頼した」

 色川さんの眼はおそろしいほど見抜く。しかし見抜いたあと、見えたものを色川さん的な寛容装置が受け止める。この小説集を何度となく手にとるのは、この連携プレーが見事だからかもしれません。読み終えて、イヤな感じが残らない。どこか全部をあきらめているようにも読み取れるのに、放り出さない。この無限の抱擁が、色川さんの文学の力だと思います。

 胆石の手術は大変に手のかかるものでした。ながらく放置していたためにかなり悪化していたことと、色川さんの脂肪のつまった巨躯も、執刀医たちの行く手を阻んだのです。院長のセリフによれば、「元横綱の朝潮をやったときより大変だったよ」。

 大手術は成功したと思ったのもつかの間、色川さんに黄疸の異変が起こり、物語はさらに再手術の緊張へと読者を引っ張り込んでゆきます。しかし、緊張に引っ張り込まれながらも、どこかユーモラスなものも残す、ある種の達観のなかで、色川さんは自分の危機的状況を見下ろし、悠然と眺めている風があります。「私はしかし、もうどんなことにもさほどたじろがなかった。これが現実だと思えば、理不尽なことなど何もない。何も信じない人間は現実にただ密着するよりほか芸がない」。

 現実とどうつきあってゆくのか。次々に壁が立ちふさがるように思えるとき、色川文学は深い苦みを含んだ大いなる慰藉を与えてくれるのです。

「立派な一生も愚かな一生もさして変りはない。人間は悔いを残さないように努力し、その努力はそれなりに収穫があったようで、もちろんそれでいいのであるが、とことんの所ではやはり変らない。この世は自然の定理のみでなんの愛嬌もないのである」
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