折々の旅を舞台にして、養老孟司氏の思索が展開する連載「万物流転」。今回は島根紀行です。第一回はイギリス。第二回はコスタリカでした。旅先が海外であれ日本であれ、養老氏の目は同じように動き何かを見つけだします。

 これまでに積み重ねてきた養老氏の仕事の「歴史」が、いま目の前にある「現在」とどのようにわたりあうのか。学問であろうと経験であろうと、いま目の前にあるものごとについて何の言葉も持ち得ないのなら、それは学問や経験が築いた真の力とは言えないでしょう。

 今回の旅の目的は、島根県の「中山間地域研究センター」開所を記念するシンポジウムで基調講演を依頼されたためでした。「中山間地域」というのは、「やまあい」のなかでも人里としても機能しうる中程度の標高の地域を指すようです。里山のなかでも山がちの村をイメージすればよいでしょうか。

 日本の森林被覆率は約64パーセント。欧米や中国に較べれば圧倒的に高い比率を示しています。ちなみにアフガニスタンは約2パーセント、中国は約18パーセント、イギリスは約12パーセント、アメリカは約25パーセントです。つまり、今は過疎になり、人の手を離れた旧里山地域がこの日本には驚くほど広範囲に残されている、ということです。

 里山が過疎になるのは経済至上主義のシンプルな結果です。人もモノもすべては都市に集中する。里山はやがて過疎地域となり荒れ果ててゆきます。しかし島根を旅しながら養老氏はあることに気づきます。島根と隣の町である広島市のあいだに横たわる大きな差異。それは何か。私たち自身の町を振り返りたくなるような推論が展開します。国政だけで解決できる問題ではない、人々の意識の問題もあぶり出されます。ぜひ本文にあたっていただきたいと思います。

 養老氏の都市論は、ときに私たちの未来を心配させるような部分を含んでいますが、しかしよくよく読み直してみると、そこには必ず何らかの可能性が示されています。漱石ばりのちょっとつっけんどんでユーモアもある養老氏の文章は、ときどき読者を煙に巻くことがあります。しかし人々がその可能性を示唆する部分を読み落とさなければ、私たちの未来は少しずつであっても変るはずです。

 子育ての問題にまで話が展開する今回の「島根紀行」は、養老氏の日本についての大きな問題意識があますところなく描かれた必読の回だと言えるでしょう。