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『先生はえらい』内田樹(ちくまプリマー新書)

 先生とは何か──。このように書くとどうしても、「教育問題」的なるものがたちまち連想されます。「先生の質が……」「教育の現場が……」「教育基本法を……」。しかし、この本はそのような「教育問題」を直接的に語るものではありません。

 いきなり結論めいたことを書いてしまえば、本書が私たちに提示しようとしているのは、コミュニケーションとは何か、ということなのです。それではなぜ「先生」が主語になっているのか。それは著者である内田さんが、コミュニケーションの中心に、学ぶこと、対話すること、師弟関係をむすぶことを、ある確信をもって据えているからです。

 戦後、先生の権威は、ゆるゆると時間をかけて失墜してゆきました。一方、それに反比例するように、先生に求められるものは増大しています。この「失墜」と「増大」が、現在の教育問題の根幹にあるような気がします。教えるという職能において、先生は限りなく完成されたものでなければならない。学ぶ側は(親も本人もふくめて)無言のうちにそう要求しています。なぜならば教育とは「与えられるもの」であり、当然の権利として主張できるものであるから。

 その前提がある限り、「教育問題」はいつまでも続くだろうと思います。当たり前と思われているこの前提をいったんご破算にするところから、本書は始まっていると言っていいでしょう。

 本書の前半部分から内田さんの文章をいくつか引用してみます。
  • この本は「あなたが『えらい』と思った人、それがあなたの先生である」という定義から始まる。
  • 「誰もが尊敬できる先生」なんて存在しません。
  • 恋愛が誤解に基づくように、師弟関係も本質的には誤解に基づくものです。
  • 学ぶというのは有用な技術や知識を教えてもらうことではありません。
  • 生徒は自分が学ぶことのできること、学びたく願っていることしか学ぶことができません。
 いかがでしょう。このように一行だけぽんぽんと抜き出してしまうと、煙に巻かれたような気がするかもしれません。いや、一行だけ抜き出さなくても、そもそも本書はどこか煙に巻かれたような雰囲気のなか進行してゆくつくりになっているのです。それはつまり、本の内容じたい、進め方じたいが、内田さんの考える「学ぶ」ということのありうべき姿に似せられているからです。

 ちくまプリマー新書は中高生ぐらいの読者を想定しているシリーズだと思います。でも、本書にこめられたものを理解するのは、彼らにはかなり厳しいかもしれません。大人だって、読み始めたときには「?」マークが頭の上にいくつも並んでいく場面が続く可能性すらあるのですから。イライラする人も出てくるかもしれない。「要するに何が言いたいんだよ!」と結論を急ぐ人もいるでしょう。

 おそらくそのような生理的な反応のなかにも、私たちがいま抱えている「教育問題」の根っこが繋がっているはずです。本書は「教育問題」を直接的には語っていないものの、それを無意識のうちにズルズルと引き出してしまう力がある。というか、内田さんにはそのような企みがきっとあったはずです。 

 世の中が次第に非寛容になっている、と感じるようになったのは、いったいいつの頃からだったでしょう。そしてこの非寛容は、自然を排除した都市化によってもたらされたものなのではないか。私がこう考えるようになったのは、養老孟司さんが以前から繰り返し書き、語っている「都市化とは脳化のことである」という補助線によって、です。

 予測がつかず、思うようにならない自然のなかに置かれた人間は、非寛容であっては生きてはいけません。まずは理屈抜きで受け入れる。そこからどうするかを考える。そのような順番だったはずです。しかし都市化された私たちは、教育の現場にも非寛容な態度で望むようになってしまった。「ああすればこうなる」というふうに、学ぶことのシステムも、学んだ結果得られるものも、すべて見渡せて、かつ効率的でなければいけない。子どもたちにはそれを享受する権利がある、と。

「先生」は学ぶ側の頭の上に扱いかねる「?」マークを浮かびあがらせる存在であってはならず、「?」マークをひとつずつ丁寧に潰してゆく方法や技術を「すみやかに」与えるものでなければならない。先生にもとめられているのは、そのような機能にすぎないのです。

 けれども、「学ぶ」ということは、そのようなものでは決してない。「?」を潰してしまったらおしまい。「?」をかかえて生きよ。内田さんは本書のなかで繰り返しそのように語りかけてきます。そして、それこそがコミュニケーションなんだと。

 それではなぜ内田さんは、「学ぶこと」をそのようにとらえるにいたったのか。そうした疑問を抱かれた方は、「考える人」次号(10月4日発売)に掲載される小林秀雄賞受賞者インタビューをぜひお読みいただければと思います。内田さんがこれまで生きてきた軌跡をたどりながら、なるほどそうだったのか、と得心できるようなお話がうかがえたと考えるからです。
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