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梅田望夫『ウェブ時代をゆく──いかに働き、いかに学ぶか』(ちくま新書)

 大人になってから読むのでは遅い。そのような本があります。本書はまさにその一冊です。大人になってしまった私でも、本書を読み進めながら、いわくいいがたい感銘を受けました。ここには未来に向かって開かれた、明るい風穴があいている。若い人たちにとって、希望を持って生きることが難しい時代になりつつある今、これほど勇気を与えられ、励まされる本はないでしょう。私の娘はまだ中学一年生ですが、近い将来に必ずこの本を手渡したい。そう思いました。

 内容を手短に言えば、本書カバーの袖にまとめられた文章につきると思います。「現代は、江戸から明治に匹敵する『時代の大きな変わり目』だ。ウェブという『学習の高速道路』によって、どんな職業の可能性がひらかれたのか。食べていけるだけのお金を稼ぎつつ、『好き』を貫いて知的に生きることは可能なのか。この混沌として面白い時代に、少しでも『見晴らしのいい場所』に立ち、より多くの自由を手にするために──。オプティミズムに貫かれ、リアリズムに裏打ちされた、待望の仕事論・人生論」。

 私はウェブの世界をめぐる楽観的な言説がどうしても好きになれない人間です。とくに嫌いなのが「コンテンツ」という言葉。ウェブという新しいインフラストラクチャーを無批判なかたちで大前提とし、「あとは中身の問題だ」とばかりに根拠の乏しい楽観論を唱える人を見ると、その人じたいの「コンテンツ」はどこにもないのではないか、と思ってしまいます。英語本来のcontentsとは違ったニュアンスが、カタカナの「コンテンツ」には含まれている。どこか空疎で、不誠実な感じが漂うのです。

 梅田さんも、前著『ウェブ進化論』(ちくま新書)でその姿勢をオプティミズムだとずいぶん批判されたらしい。本書のなかでもその問題に触れながら、未来を能動的に変えてゆくには、やはりオプティミズムの姿勢こそが大きな力と支えになる、とあらためて言及しつつ、さらに以下の理由を述べて、ネットという技術の持つ性格に希望を抱く根拠としています。

「(1) ネットが『巨大な強者』(国家、大資本、大組織……)よりも『小さな弱者』(個人、小資本、小組織……)と親和性の高い技術であること。
 (2) ネットが人々の「善」なるもの、人々の小さな努力を集積する可能性を秘めた技術であること。
 (3) ネットがこれまでは『ほんの一部の人たち』にのみ可能だった行為(例:表現、社会貢献)を、すべての人々に開放する技術であること。
 (4) ネットが『個』の固有性(個性、志向性)を発見し増幅することにおいて極めて有効な技術であること。
 (5) ネットが社会に多様な選択肢を増やす方向の技術であること。」

 それぞれについて、反論はもちろん可能でしょう。たとえば(2)の「善」なるものについて言えば、私たちの社会にはびこる「悪意」はネットを最大の住み処にし、栄養源にもしている、と言うのは簡単です。しかし「その不具合や問題点を探し、悪いところばかりをネガティブに捉え、せっかく生まれた新しい芽を摘もうとしてばかりいれば、誰も新しいものを創造しようとしなくなる」(本書より)。

 そして実際に、無数の人々の知が集積される「群衆の叡智」(Wisdom of Crowds)の最大の現場、最大の成果はネットの上にあり(たとえば、日々更新されるネットの百科事典ウィキペディアや、オープンソース=無償提供のソフトがその代表的なものでしょう)、またグーグルが2004年からハーバード大学、スタンフォード大学、ミシガン大学、オックスフォード大学、カリフォルニア大学、プリンストン大学(日本では慶應義塾大学が参加)などと提携し、人類の過去の叡智がおさめられた書籍を読み取り、検索可能にするプロジェクトを開始していることも、ネットのネガティブな側面から否定してばかりいたら、その新しい地平は切り拓かれてはいかないはずです。

 若い人たちのための組織論、仕事論、人生論として果たすであろう本書の役割も大きいと思います。「コンテンツ」と並んで私が嫌いな言葉は「就活」。これもまた、大企業、優良企業に就職することがすべてを左右する、という大前提のもとに便利に使われる「かけ声」のようなニュアンスを感じます。「働く」ということは、それほど限定的な枠組みのなかでしか可能ではないのか。いや、そうではない。こんな方法もあるんだよ、と流動的で無限の可能性を秘めたものとしての労働を、本書では豊富な具体例とともに案内してくれるのです。小さな組織の可能性についての言及は、どんな「大出版社」であっても大企業に較べれば圧倒的な小さな組織でしかない出版社で働く私にとっても、示唆を受けるところが少なくありませんでした。

 本書がオプティミズムの姿勢のもとで書かれながら空疎にならないでいるのは、梅田さんのこれまでの人生による裏打ちがあるからに他なりません。「私が小学生の頃に、起こした会社を倒産させた父は、原稿を書きながら抱えた借金を返しつつ、私の大学二年までの学費を出してくれたが、死後に資産はほとんど残さなかった。火事場の馬鹿力とはよく言うが、大学三年のときからは家族の生活費の一部と学費を自分で稼ぎながら、休む間もなくふらふらになりながら二十代を生きた」という梅田さんの、実体ある労働というものを身を持って経験したこと、そして膨大な読書による「知」と「情」の蓄積があるからだと思うのです。

 本書のもうひとつの大きな魅力は引用の豊かさです。ネットの世界を切り拓いていった先人のみならず、福澤諭吉、小林秀雄、村上春樹といった人々の言葉が実に的確な場所で引用されている。引用ばかりではありません。19世紀の小説家であるバルザックを「行動的な起業家」だったと見立てる視点にもうならされましたし、ウェブという「学習の高速道路」論を梅田さんとの個人的なやりとりの上で口にした棋士の羽生善治氏や、ネット世界があったからこそ誕生することになった女流棋士・里見香奈氏の話なども実に刺戟的です。このあたりは、学びの途上にある若い人たちに「自分たちの話」としてぜひ読んでもらいたいところです。

 本書を読了して感じたのは、ウェブ時代にもっとも必要なものは「リベラルアーツ」なのかもしれない、ということでした。人文科学、社会科学、自然科学といった、教養学部的で「すぐには役に立たないかもしれない学問」の蓄積の上にこそ、ウェブという新たなメディアの能力を最大化できる場所がある。そしてウェブを「善きもの」としてコントロールするためにも「リベラルアーツ」は見直され、復興されるべきである、ということでした。梅田さんがこれまでの全人生を栄養にしながら成立させた、隅から隅まで言葉がいきいきとしている本書こそ、その最も善き例だと思うからです。
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