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佐藤可士和『佐藤可士和の超整理術』
(日本経済新聞出版社)

 佐藤さんに初めてお目にかかったのは、酒井順子さんの著作『観光の哀しみ』の装幀の打ち合わせで事務所にうかがったときでした。佐藤さんが博報堂を退社されフリーになってまもない頃で、とにかく圧倒されたのは、その事務所の、広々として余計なものがいっさいない空間の美しさでした。そこに漂う清浄な感覚は、竜安寺の石庭にすらどこか似ていました。

 新潮社出版部の深奥部の窓際にある、私の机と「考える人」編集部のワークデスクは、本の山と雑多な文房具、原稿の返却用袋、進行表の束、必要なのかどうかよくわからないコピー、食べかけのお菓子、などなどが吹きだまった混沌がうずをまいており、たとえて言えば、年末年始の休み明けの、最初のゴミ出しの日の光景に近いものがあります。

 いや違うな。ゴミ出しの日のゴミの山は、ゴミとして整理された後のものが積み上がっているだけです。そこに逡巡はありません。回収されるのを待つばかりの、決然としたかたまりなのです。私の机周辺は要不要が渾然一体となった状態ですから、ゴミの山ではありません。だからブルドーザーでひといきに片付けることはできない。優柔不断、怠惰の山。

 こんな悪夢を見たらいやだろうな……要不要の整理、分類ができていないのに、知らぬうちにゴミの集積所に運ばれてしまった私の「ゴミの山」。しかしこの山のどこかに埋もれているはずの大切なものをいま探し出さねばならない。しかし気がつくと、遠くからゴミ収集車のエンジンの音がかすかに聞こえてくる……。

 本書は自分が買ってきて読んだのではありません。編集部のAさんが「松家さん、もう読みました? 面白いですよこの本」とにこにこの笑顔で持ってきてくれたのです。「あ、読んでないなあ。貸してくれるの? ありがとう」と言ってその後しばらく机の「読むかもしれない、待機中の積み上がり本コーナー」(これもひとつの山ではなく、連峰化しています)に置きっぱなしだったのですが、ある週末、家に持ち帰って読み始めたら、最後まですいすいとノンストップで読んでしまった、というわけです。

 本書の内容を大きく分けるとふたつ。ひとつは、佐藤デザインにおける思考とデザインの整理術を実際の仕事を例に引きながら語るもの。もうひとつは、机の周り、収納、パソコンのデスクトップ、鞄など、毎日の実作業で必要な道具をどのように使いこなすか、という整理術。佐藤さんの考え方とデザインの道筋は見事に「整理」されていて、すなわち佐藤さんのすっきりとしたデザインの理由も見えてくるような気がします。佐藤デザインとは、すなわち整理のデザインなのだ、ということがリアルに伝わってくる。

 私が個人的に吸い込まれるように読んだのは、もうひとつの部分、「身の回り整理術」でした。整理整頓に長けた人たちには、当たり前の話ばかりなのかもしれません。しかし私にとっては、あまりに具体的、あまりに説得力がある話ばかりだったので、読んでいる最中は「これで出直そう」と決意したほどでした。そして実際に、自宅の書庫の周辺を猛烈な勢いで片付けた。本が具体的な行動にむすびつく。私にとっては珍しい例です。

 そして、会社の机およびその周辺の現状はといえば……いまだ変化はありません。しかし。私の胸の奥深くには、佐藤さんの整理術の基本精神、基本理念、行動化計画が立ち去ることなく、情勢を見守るようにまだとどまっています。読み終えた後も、怪しく白く輝く本として、私を見続けている。白い本からは、竜安寺の石庭にも似た「気」のようなものが、今もたしかに漂い流れ出しているのです。
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