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スティーヴン・ミルハウザー 柴田元幸訳
『マーティン・ドレスラーの夢』(白水社)

 次号の校了作業に追われながらついつい手にして読んでしまったのが本書です。翻訳が刊行されるたびに必ず読んでいたミルハウザーの作品、しかも初めての長篇小説だったので期待を胸に書店のレジへ向かったはずなのですが、気がつけば本棚にさし入れたまま時が経っていました。奥付を見ると、刊行されてからすでに五年! 時の経つ早さに少なからずショックを受けたのですが、それはまた別の話。忙しい最中に、だからこそなんとなく読みたくなって、本棚から引き出して読み始めたら止まりませんでした。

 ミルハウザーの短篇や中篇に登場する人々は、一風変わっています。まるで生きているかのようなからくり人形をつくってしまう19世紀後半の天才的な人形師、20世紀初頭のニューヨークで新聞社勤務のかたわら手描きアニメーションを極めてしまう人……物語の主人公は誰に頼まれたのでもないのに、職人芸的な仕事を突き詰めてしまう質の「因果な人」がたびたび選ばれるのです。

 本書の舞台は19世紀の終わり、まだ辻馬車がカツカツと馬の蹄の音を立てて走っていた頃のニューヨーク。ささやかに営まれていた個人商店「ドレスラー葉巻煙草商」のひとり息子マーティン・ドレスラーが、父親の店を手伝うことから始め、ひょんなきっかけからニューヨークのホテルのベルボーイをつとめるようになり、やがてフロント係、支配人秘書、カフェレストラン創業経営者、ホテルのオーナー、とつぎつぎに成功の階段をのぼりつめてゆく──これが物語の大筋です。

 大筋はそうだとしても、ミルハウザーによる物語は当然のことながら「人生ゲーム」のように進んでゆくだけではありません。たとえば、ストーリーの大きな流れには直接的には関与しないディテールの凝りに凝った描写。これでもかというほど細部が彫琢されているのがミルハウザーならではの文章の味わいで、ディテール描写に入ったときには大きな物語の流れはいっときスピードをぐんと落とし、物語の主人公の視線で目の前のものを見ているかのような気分にさせられるのです。たとえば冒頭の「ドレスラー葉巻煙草商」をめぐる描写。視点はマーティン少年のものです。

「あるとき父親が五十本入りの箱から葉巻を取り出して、どういうふうに積んであるか見せてくれた。上から三段に十三本、一番下の段に十一本、二本分は代わりに木の詰め物が入れてある。もっと楽しいのは中蓋に貼った色つきのラベルで、本当にいろんな絵があった。円錐形のテントを背にして馬に乗ったインディアン。川べりで遊ぶ少年と犬。白い小舟に座った、胸をあらわにして二の腕にブレスレットをつけ、花開いたスイレンの葉を指でなぞっているエジプト人女性。黒煙を吐き出す黒光りする汽車。」

 ラベルに描かれたイラストレーションがありありと目に浮かんでくるようではありませんか。まだまだこのような描写が続くのですが、引用はこのあたりでとめておきましょう。父親の店で目にする商品のディテールは、マーティン少年にとって大きな宇宙にも匹敵するものだった、ということが伝わってきます。誰でも子どもの頃は、子供用の皿に描かれたたわいもない絵や、お気に入りのセーターや、母親が縫いつけたアップリケつきの手提げなどを、魅入られるようにして見たり、触ったりしていたことがあるのではないでしょうか。しかもその感覚は、大人になってから細部にこだわるときのものとはどこかが決定的にちがう、もっと動物的な何かです。ミルハウザーはそのような動物的視線を大人になっても失っていない作家なのかもしれません。

 主人公マーティンが、ホテルのオーナーになるまでの物語は、アメリカン・ドリームというものはこういうものだったか、と思わせるような、歴史的なリアリティーに裏付けられた躍動感があります。ところがマーティンが成功の頂点に至ったあたりから、空気が怪しいものになってくる。最初はショッピングアーケードのような付加価値施設を充実させることによってホテルの集客につなげようという合理的な理由だったはずが、しだいに宿泊施設は従の立場に逆転し、付加価値施設の深化と拡大に淫するようになってゆくのです。それはほとんどマーティンの頭のなかの妄想を際限なく具現化したもの、でしかない。たとえば自然史博物館にあるようなインディアンの集落のジオラマのようなもの、蒸気機関の実物大の模型、人工の洞窟、滝……ホテルはホテルのようであってホテルではない何か別のものに変わってゆく。

 物語を大きく左右するもうひとつの軸は、マーティンの女性関係です。ベルボーイ時代に出会った“クレームの女王”とでもいうべきハミルトン夫人。幼いアリス・ベル。初体験の相手となる売春婦ドーラ。ホテル暮らしのキャロリンとエメリン姉妹とその母の三人組。密かな肉体関係を続けることになるホテル従業員マリー・ハスコヴァ。それぞれマーティンに独特の視線をなげかける女性たちは、マーティンにとって母性的な慰撫を与えることで共通するのですが、たったひとり結婚相手として選ぶことになったキャロリンだけは、そのような母性を欠いた例外的な女性でした。そしてキャロリンの妹エメリンは、マーティンの強力なビジネス・パートナーとして力を発揮し、マーティンの成功を大きく支えます。しかしこの姉妹との関係はやがて危ういバランスを保てなくなり、物語の大きな転機、成功に隠された小さな裂け目を容赦なくひろげてゆくのです。

 河合隼雄さんの追悼特集を編集しているせいかもしれません。次々に建設されてゆくマーティンの夢想的なホテルが、ユング心理学でいうところの「セルフ」、マーティンの自己そのものの投影に見えてきます。マーティンを駆り立てている無意識の領域が、ホテルの怪しげな施設に姿をかえて集合し、屹立している。とりわけ何層構造にもなる地下階がどんどん深くなってゆくことが、マーティンの意識の変容を表しているかのようです。

 読了したとき、もう一度冒頭をみてみたら、こんなくだりが一頁目にありました。ミルハウザーの小説の、「作家」と「主人公」の距離、作品のテーマを支えるミルハウザーの人生への態度がこれほど端的に書かれていたことを、すっかり忘れていました。ミルハウザーはやはり冷静でぬかりない、細部の彫琢にこそ小説の生命力が宿ると信じる、希有な意識的作家なのだ、と思いいたりました。

「マーティン・ドレスラーもまた彼独自の夢を見て、ついにはほとんどの人間が想像すらしないことを成し遂げるだけの運に恵まれた。心からの欲求を、彼は満たすことができた。だがこれは危険な特権である。神々はその特権を得た者をぬかりなく見張っている。結局すべてを破滅に追いやる疵が、わずかな疵が現われるのを神々は待っている」
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