Kangaeruhito HTML Mail Magazine 268
 はくべきかはかざるべきか、それが問題だ

 夜型編集者と昼型編集者を見分ける方法がひとつあります。会社に出社すると、何年も取り出されたことのない年代ものの手提げ袋がぎゅうぎゅうといくつも押し込んである机の下に、ひからびた動物の皮のようにペタンと用意してあるサンダルを、足先で引き出しておもむろに履き替える人。彼はおそらく、夜型です。そのような光景は、どちらかと言えば書籍編集者より雑誌編集者に、より多く見られるようです。

 他社に勤めている、私よりも十歳ぐらい年上の、出版界ではかなりお洒落な男性編集者がいました(いまでも活躍していらっしゃるので過去形はヘンなのですが、しばらくお目にかかる機会がなかったので)。作家とのつきあいばかりではなく、世をときめく最先端の人と一緒に話題作を編集して、テレビにとりあげられたりすることもあり、カメラの前でも知的なほほえみを絶やさず、声も良く、なんだか格好いいのです。でもまったく偉ぶらない人なので、私のような年下編集者にも気軽に声をかけてくださり、くだらない与太話や業界的うわさ話ではない、どこで仕入れていらしたのかと思うような面白い話を聞かせてくれる。尊敬すべき編集者のひとりです。

 あるとき、仕事のことで何か資料のようなものをお借りすることになり、はじめてその方の働く会社を訪ねたことがありました。新潮社よりちょっと近代的なオフィスは広々としていて、うーん、さすがAさんの勤める会社は違う、と緊張しつつ編集部を訪ねると、大きな明るいガラス窓を背景にして座っていたAさんは、上司の座る「お誕生席」の机から顔をあげて「こっちこっち」といつもどおりの笑顔で手招きしてくれました。

 Aさんの机の隣にある、打ち合わせ用のソファに座ってお待ちしていると、Aさんが背後のキャビネットをガラガラとあけて、封筒を取り出しこちらに歩いてきます。拍子抜けするような軽やかな足音とともに。サンダルでした。お洒落なAさんが、いつものようにお洒落でいるのにもかかわらず、足もとはサンダル。それも普通の。Aさんはその頃、雑誌の編集長をしていました。その日も夕方から夜へと待ち受けていたのであろう「夜業」が、Aさんの見事なお洒落の足もとを突き崩していたのでしょう。Aさんにサンダルのことを言えば、きっと鮮やかな反応があったにちがいないのですが、残念ながら私には指摘する勇気がありませんでした。何となく、気がついていないような顔をよそおい、Aさんと世間話を続けていました。

 私だって靴を脱ぎたい。午前中はほとんど感じないのですが、午後になり、夕方ちかくなると、だんだんと足がほてってくるのです。ずっと座りっぱなしでデスクワークをしているときはとくに。こういうときこそ、サンダルをはく気持ちがわかる。でも導入を踏み切れないままでいる私がどうしているかというと、机の下でこっそり靴を脱ぐのです。そして脱いだ足は、ヒトデみたいなかたちの椅子の脚部に所在なくのせておく。深夜になってくると、もうよれよれですから、リノリウムの床の上に直接おろしていたりもします。

 20代の半ばぐらいまでは、朝までデスクワークを続けることも頻繁でした。ひどいときには机の脇に、たたんだ段ボールをばさばさと並べて、その上に横になって仮眠をとっていたこともあります。そこまで「堕ちた」こともあるのに、なぜか一度もサンダルを導入したことがない。踏み切れないまま今日に至ってしまったのです。なにかいい方法はないものか。

 今、東京・渋谷にあるBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「アルベール・アンカー展」の絵を見ているうちに、靴の不自由をあらためて思いました。19世紀半ばから20世紀初頭にかけて活躍したスイスを代表する国民的画家アルベール・アンカーは、ふだんは画家としてパリで暮らし、夏のあいだは故郷のスイスの村に帰ってそこで暮らしながら、村の子どもたち、老人、女性の日常のひとこまを、ひとつひとつ丹念に描いていった人でした。この絵に登場する村の子どもたちが、半分ぐらいの割合で、はだしなのです(ちなみに、このアルベール・アンカーの絵は、1月25日発売の「芸術新潮」にも掲載される予定です)。

 村の農道をゆらゆらと歩きながら遠足に出かける子どもたちの半数がはだし。水くみの手伝いをする少年も、農家の軒先におかれたベンチでひるねをする少女もはだし。森の中で木の幹にいるリスをつかまえようと抜き足、差し足の少年は、はだしの足先を宙に浮かせている。

 絵を見ていると、靴を脱いだ靴下の状態というのが、そもそも半端なのだと気づきます。靴をはくか、はだしになるか。靴下というのは名前のとおり靴とペアで成立するものなのかもしれません。そしてはだしは、土の上、草原の上、砂浜の上を歩くときにこそ、うれしい。リノリウムやコンクリートでは、ぺたぺたとして気持ちがわるい。自然の豊かな場所であれば、足裏の感触も千変万化するでしょう。そう思ってみると、ながらく畳の上で生きてきた私たち日本人にとって、靴使用の歴史はまだまだ浅いですし、冬をのぞいてきわめて湿潤な気候も、ほんとうは靴に向いていないのかもしれません。

 とはいえ、会社を全館畳敷きにしたら……夏にはダニがわきそうです。机を離れてあたりをゴロゴロする輩が続出し、ふとんまで持ち込んでぐうぐう仮眠をとるツワモノも出てくるかもしれない。こたつにミカンで背中を丸めてゲラをよんでいるうちに、ゲラによだれをたらしたり。だからサンダルは、出版社がそのようにあられもなくなる手前の、ささやかな緩衝装置として、これからも暫定的に機能させてゆくしかないのでしょう。さて。それでは私はこれから、いったいどうすればいいんだろう。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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