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橋本治『日本の行く道』(集英社新書)

 増築に増築を重ねた木造建築なので、くねくねと右に曲がったり左に曲がったりする廊下は、階段を上がったり下がったり、坂道のようだったりもし、やっと谷底のようなところにある大浴場にたどり着いたと思ったら、今度は自分の部屋に戻ることができなくなっています。

 ボイラーでお湯を沸かすための石油も、ちかちかする蛍光灯だらけの館内の電力も不足気味、古くなった空調はほこり臭く壊れそうで、建物全体の老朽化もひどく、廊下を歩くとギシギシ音がする。家族連れのお客さんは年々減少し、やってきた一家もなんだか浮かない顔、子どももすっかり元気がありません。

 私たちがいま生きている日本とは、たとえばそんな古い旅館のようなものであり、私たちは、部屋に戻れず迷ってしまったお客さんで、とにかくここはこういうところなのだから仕方ないか、とほとんど諦めたような状態。

 突然、その旅館を見下ろす空から大きな手が伸びてきて、怪しいつぎはぎだらけの建物の屋根をパカッと外して持ち上げて、「いまきみはここにいるわけなんだけど」と教えてくれる声が上空から聞こえてくる。旅館が日本で、客がわたしたちだとすると、大きな手と声が橋本治さん、ということになります(念のためですが、この妙な設定は本書と何のかかわりあいもない私の妄想のようなものです。深夜残業の片手間に書き始めたので、こんな怪しい設定になってしまった)。

 わかりやすいけれど、ぼんやりしていると文脈を追えなくなる可能性もないわけではない穏やかな声は、そもそも建てられた当初の旅館の母屋はどの部分で、段階的に増築されていった理由や過去の工事の杜撰な実態までコマ送りの画面付きで見せてくれ、どうして昔のあの時点で思い切って全体を建て替えることをしなかったのかという疑問についても、当時の旅館の経営状態や、経営者一族のややこしい家族関係だとか、近隣に建ち並び始め競合するようになった新興旅館の問題、なども含めてかんでふくめるような説明をしてくれるのです。

 そのあいだに、屋根を外されてまる見えになった上空からすがすがしい風が吹き込んできて、増築旅館の湿度の高い空気をサーッと入れ換えてしまう。明るい光も射し込んで、暗くてよく見えなかったカビだのほこりだのも見えてくるから、掃除機をかけ、拭き掃除までしたくなってくる。こうして今までにない気持ちになるのは、知的刺戟というよりは生理的快感に近いものがあります。

「お客さんをどんどん入れようとして、増築に増築を重ねたから、かえってこんなことになっちゃったわけでしょ。だったら最初の母屋の状態に戻してみたらどうなのって考えるのは、むちゃくちゃなことだって言われるかもしれないけど……」──なるほどそうか。そうすれば庭も広がるし、部屋も明るく風通しも良くなる。まわりは鉄筋コンクリート4階建てホテル風旅館だらけになってしまったから、平屋の和風旅館ならいっそう際立つし、お客様へのサービスを充実させることも無理がないだろう、というわけです。

 本書に登場するわけではない「旅館」のイメージをながながと書いてしまいましたが、読み始めたら最後まで止まらない本書の引力、そして最後には何か大きなごろんとした手応えが残るような読後感は、もう一度、別の理屈を組み立てた文章で説明するのが難しいのです。橋本治さんの文章は口語的なスタイルで、そこがつねに革命的といっていいものなのですが、これを違う言葉で言い替えてしまうと、橋本さんの文脈が微妙に変化してしまう。橋本さんの本の書評は実はかなり難しい。

 本書がとりあげているテーマは、ジャーナリズムの世界のどこかで、毎日のように扱われている「地球温暖化」、「格差社会」、「いじめ」などの問題。それらはたいてい個別に論じられるものです。たとえば新書だったら一冊ずつ、ひとつのテーマで書くのが普通でしょう。しかし橋本さんは同じ根でつながる大きなひとかたまりの問題としてとらえ、ひと筆書きのようにして書き進め、見事に同時に着地させてしまう。大胆な解決策まではっきりと呈示する。単なる分析に終わらない。ここがすごい。

 橋本治さんの文章は、いつも物事の根本にあるものを淡々と掘り当てて、「だってさ、ここにこうしてあるんだから、こうなるのは当然なんじゃないの」と呟くスタイルです。本書のなかに出てくる重要な言葉のひとつに「今更、人を責めても仕方がない」というものがあるのですが、橋本さんの文章の姿勢はつまり橋本さんの人生の姿勢と同じで、人を責めず追い込まず、しかし言うべきことはきちんと言う、というもの。これが誰にでもできる芸当ではないのは、言うまでもありません。

 マルクスの「資本論」のような、世界の成り立ちを根こそぎとらえようとする試みとその成果は、加速度的に力を失っているのかもしれません。力を失うというのが語弊があるとするならば、「棚上げされている」と言い換えてもいい。現実を言葉と結びつけ、そして現実を言葉でほどいてゆくこと。思想と現実のやりとりが難しいことになっているのが、21世紀に入った私たちの現実です。

 やっぱりこういう本は滅多にないな、と思います。それは、マルクスがやっていた仕事とほとんど同じで、今はあまりやる人がいなくなってしまった仕事なのです。そして、マルクスにはなくて橋本さんにはある、という何かがあります。それはたぶん、橋本さんがきわめてすぐれた小説家である、ということと関係がありそうです。私は、本書の最後のあたりで出てくる以下の文章に、小説を読んだときのような感動を覚えました。その引用で、書評を終えたいと思います。

 
 人は「豊かさ」によって自由になり、自由になって「豊かさ」を求め、その結果、「豊かさ」によって翻弄され、「豊かさ」を失います。なにかここには罠があります。「豊かさ」というものがどういうトリックを隠し持っているのか、私は知りませんが、「豊かさ」がいつの間にか「人を翻弄するだけの強さ」を持ってしまう理由なら、推測出来ます。「豊かさ」が強くなると、人の方は相対的に弱くなるのです。なぜ弱くなるのかと言えば、「豊かさ」を手に入れた時、人は「豊かさ」を手に入れるために必要とした「あれこれめんどくさいことを考えなければならない」という制約を捨ててしまうからです。人が人であることを成り立たせる思考の「重大な一角」を放棄してしまう──その結果「人が弱くなる」になってしまうのは、当たり前のことだと思われます。
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