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中上健次『夢の力』(北洋社・絶版)

 高山文彦著『エレクトラ ──中上健次の生涯』を読み終えたら、無性に中上健次の書いた文章を読みたくなりました。初めて中上健次の小説を読んだのが1977年。長篇『枯木灘』でした。大学2年生の夏休みに冷房の壊れた部屋で汗だくになりながら読んだ記憶があります。

 大学に入る直前は、男子校の味気なさと受験勉強の憂さを晴らすようにしてドストエフスキーを読み耽り、大学に入ってからは今度はフォークナーの長篇ばかり読んでいました。大学に願書を出した時にはロシア文学専攻と決めていたのに、教養課程の2年目には英文学専攻へと志望を変えようかと迷い始めました。

 結局、英文学専攻へと志望を変えたのは、やってみて骨身にしみたロシア語の語尾変化のややこしさと、おそろしいほど美人だったロシア語講師の授業のつらさに音を上げたことが大きかった(BとVの発音の違いを先生の青い眼と口元を交互に見ながら繰り返すマンツーマンの会話テストは、男子校出身の18歳の私には拷問に近いものでした)。が、やはりフォークナーの描き出す濃密な世界とその文体に圧倒されるという読書体験に、ぐいぐいと背中を押されたのだと思います。

 やがてフォークナーと同じくアメリカ南部出身であるカポーティの、深い漆黒の下地の上に描かれた繊細な金色の線画のような文章にも惹かれ……としばらく海外小説を渡り歩く読書生活が続きました。やがて大学時代の自分の部屋の本棚には新潮社の翻訳書を中心とした海外小説がぎっしりと並ぶことになりました。のちに入社試験を受けることになったのは、このことが大きいのですが、それはまた別の話。

 日本の小説は吉行淳之介、安岡章太郎、小島信夫、庄野潤三……といった第三の新人と呼ばれていた作家の長篇や短篇を文庫本で次々と読み進めてはいましたが、発表されたばかりの新作を単行本で買うことはほとんどありませんでした。アルバイト代は大学生協でレコードを買うことに費やされてしまい、日本人作家の新刊を買うお金は残っていなかったのです。

『枯木灘』を書店で手にしたのは、本からもくもくと立ちのぼる獣のような匂いを感じたからかもしれません。「面白い小説は、本をぱらぱらとめくっただけでも文字が立って見えてくるものだ」と誰かが言っていたと思いますが、函入りクロス装で書店に並んでいた『枯木灘』は、造本装幀からだけでも何かが伝わってくる迫力がありました。そして各紙そろって絶賛だった文芸時評をいくつも引用した付録の冊子のなかに、「私は、日本の自然主義文学は七十年目に遂にその理想を実現したのかもしれないという感想を抱かざるを得なかった」という江藤淳の文章を見つけると、迷わずレジに向かいました。

 本書、『夢の力』は、『枯木灘』を刊行する前後に発表されたエッセイを編んだもの。気力が充実した作家がたぶん締め切りギリギリで書きあげたエッセイの、風圧をともなって伝わる作家の勢いというものは、それを感じるだけでもじゅうぶんに面白いものです。久しぶりに手にとって、ぱらぱらと読んでいたら、「軽蔑したドストエフスキイ」という章がありました。冒頭からしてトップギアの勢いです。

「ドストエフスキイの小説『罪と罰』を読んだのは高校時代だった、と思う。いや読んだのではなく、読みかけて途中退屈し、後はとばし読みしたのは、である。それからしばらくして、私にはそのドストエフスキイは、軽蔑と嘲笑の対象だった。
『地下室の手記』や『未成年』を読んだのは、高校卒業して、東京へ出て、毎日毎日何もせず、ジャズを聴きうろつき廻っていた頃で、その時も、よくこんなに退屈なものを冗長に書けるものだと、感じ入り、また軽蔑した。文庫本を次々買って来て読み囓りはするが、冗長な文章につきあっているほど暇じゃない、とほうり出した。実際、暇はなかった。聴きたいジャズが、朝から自分の耳の中で鳴っていたし、借りていた部屋の外はペテルブルグではなく一千万の都会の朝だ」

「『枯木灘』を書いた時、私はよくこの自分の軽蔑心と嘲笑を利用した。初めての長篇小説に筆を染める新作家に、このドストエフスキイ氏への軽蔑と嘲笑は、まさに速効性の精力剤である」と書いているように、中上健次は『枯木灘』を書きながら、時折ドストエフスキーの長篇小説の一節を任意にめくって読み始め、「通俗小説の文章じゃないか」と「軽蔑」し、ふたたび執筆に戻る、という状況だったようなのです。

 エッセイの初出を確認したら、78年刊行の『ドストエフスキー全集10』(新潮社)の付録でした。担当編集者は、中上健次の原稿をおそらくギリギリの締め切りで受け取りながら、ひとり肝を冷やしたにちがいありません。やっと入手したと思った原稿が、こんな内容なのですから。

 ドストエフスキーに投げつける「軽蔑」という言葉は、このエッセイ集では他にも「詩は軽蔑に価する」という章で使われています。そういえば、未完のものを除けば最後の長篇小説となった作品のタイトルも『軽蔑』でした。いずれにせよ、70年代末の中上健次は、誰もとめることのできない勢いのなかにあったようです。後にも先にもたった一度だけ、中上健次が借りてきた猫のようにふるまうしかなかった対談の相手、村上春樹氏のデビューは、この翌年の79年を待たねばなりません。

 最後に「軽蔑したドストエフスキイ」のしめくくりの部分を引用しておきましょう。新潮社の『ドストエフスキー全集』の担当編集者は、ここにきてやっと胸を撫で下ろしたはずです。そして私は、高山文彦著『エレクトラ』に描かれた中上健次の繊細で複雑な性格が、このエッセイのしめくくりかたにも現れているのかもしれない、とも感じたのです。いや単に、このようにエッセイをしめくくることができるほど、この瞬間の中上健次は面白いように書けてしまう絶頂期にある作家だったのだ、という現れに過ぎないのかもしれませんが。

「かくして、『枯木灘』という私の処女長篇は、ドストエフスキイという作家に反発しながら書いた。だが、いまひるがえってみると、反発や軽蔑とは触発というものと同義である事に気づくのである。つまり、さながら敬虔なクリスチャンが聖書をめくり一節を読むように、深夜、一人、ドストエフスキイを読んでいたように思えてくるのである」
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