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『宮脇檀 旅の手帖』宮脇彩・編(彰国社)

 本書の帯のコピーに「没後10年。建築家・宮脇檀が旅先で測り、描いた最後の手帖」とあります。宮脇檀さんが亡くなってもう10年が経ったのかと、少しめまいがするようでした。私が「小説新潮」の編集者として初めてお目にかかったのは、それからさらに10年ほどさかのぼる80年代後半のことでした。

 建築家の手になる本は、難しい言葉で書かれたものが多い。素人にはわからない符丁のようなものもひんぱんに出てきます。なんだか煙に巻かれたようで、しだいに読む気がうせてしまう。平らな紙の上に文字や写真をのせる「二次元の世界」で働く私には、三次元を操る建築の世界はただでさえ仰ぎ見るような世界なのですが、建築について語られる難しい言葉が、いっそう私を突き放そうとしているように感じてしまい、建築は好きなのに、建築について書かれたものはどうも苦手でした。

 ところが、宮脇さんの文章には意味のわからないところがない。生活のなかで語られるふつうの言葉が並んでいる。しかも文章がなんだかニコニコしている。自分の失敗についても平気で書いてしまうし、家を建てたいという人(これも建築の世界では「施主」というらしいのですが、なんで仏教用語が使われることになったのか謎です)のわがままや誤解もあけすけに書いてしまう。そして宮脇さんの設計した家を見てみれば、モダンでしかも暮らしやすそう。小説雑誌と建築家の相性が果たしてどうなのかは深く考えもせず、連絡をとり、代官山の事務所に会いに行きました。

 会えば文章そのままの人でした。顔文一致。本人もニコニコしている。話がどんどんわき出してくるし、それがまた面白い。海外ミステリーを中心にしたたいへんな読書家でもあり、新潮文庫のラインナップについてもいろいろと意見をおっしゃるほど。何度か打ち合わせをさせていただいて(打てば響くとはこのことだと思うような即断即決の気持ちのいい打ち合わせでした)、ほどなく「それでも建てたい家」と題された連載エッセイが「小説新潮」でスタートします。この連載は評判になり、のちに単行本化され、やがて宮脇さんが贔屓にしてくださっていた新潮文庫にも入りました(残念ながら現在は絶版ですが)。

 事務所のある同じマンションのなかにご自宅もあり、そちらにうかがうと、事務所とはまただいぶ雰囲気が違っています。海外旅行で手に入れた土産品や、線路の上を実際に走る鉄道模型が、作りつけの家具の上に小さな街をつくるかのように並んでいる。反対の壁際には北欧を中心にした名作椅子がおかれ、アップリケ作家であったお母様の宮脇綾子さんの作品が、壁にかけられている。そんな個人的なものたちが障子ごしに入る柔らかい光を浴びている様子を見ていると、外向的でせっかちなタイプに見える宮脇さんにも、ひとり静かにものを思う瞬間があるんだな、という当たり前のことを思わされます。

 宮脇さんの喉に癌が発見されたのは1995年の冬でした。男手ひとりで育て上げたお嬢さんが結婚され、還暦を迎え、これからますます楽しく人生をすごしてゆこうという矢先の出来事でした。入院された慶応病院に訪ねてゆくと、宮脇さんは満面の笑顔で私を迎えてくれました。殺風景になりがちな病院の個室には、ポスターや絵、置きものなどが自然に飾られていて、宮脇さんの部屋のようになっています。せっかちな人でしたから、自分が亡くなった場合に事務所をどのように引き継いでもらい解散してゆくかについての詳細を具体的に指示する「遺書はもう書いたんだよ」と笑顔でおっしゃり、こちらの反応を何歩も前まで先取りされてしまい、いつもの打ち合わせのような感じになってしまうのでした。

 退院されて、仕事はもちろん、料理に腕をふるい庭仕事にも精を出す日常にいったんは戻られたものの、97年の秋に再入院。再発はなかなか手強いものでした。宮脇さんは起死回生をねらう手術を瀬戸際で受ける決意をし、その結果として声を失うことになります。

 人一倍おしゃべりでしたから、会話のできない宮脇さんというのは、正直なところ想像するのが苦しいような事態でした。最初の入院よりもはるかに緊張しながら、慶応病院を訪ねて、個室の扉をあけると、宮脇さんはまたしても笑顔で私を迎えます。挨拶をしてベッドの隣の椅子に座るやいなや、宮脇さんはノートパッドを手にとって、ささささささーっと文字を書き始めました。何を書いてくださったのか、もうすっかり記憶から消えてしまいましたが(しかし文字の並び具合はいまでもよく覚えています)、それは普段の宮脇さんの会話がそのまま文字化されたものでした。そして書き進めるスピードのなんという早さ! その文字を読んで私が話しているそばから宮脇さんはさささささーっとまた書き始める。もうほとんどふつうの会話と同じです。宮脇さんは声を失ってもなお、おしゃべりでした。

 気落ちしていらっしゃるだろうなと心配する私を、宮脇さんは真っ赤なオープンカーでサーッと追い抜いてゆく。そんな感じでした。呆気にとられるのと同時に、私のなかでなにか大きなものが動きました。なんという人だろう。せっかちで面白く、ちょっとおっちょこちょいなところもある人──宮脇さんをそのように簡単に片付けていたところが自分のなかにあったことは否定できません。しかし宮脇さんはさらに、このような事態のなかで、このように生きている。そのことにひたすら圧倒されて、私は宮脇さんの病気を悲しむためではなく、宮脇さんの生きることへの姿勢にふるえて、あやうく涙が出そうになりました。

 宮脇さんの姿勢は亡くなるまで変わらなかったように思います。その姿を目のあたりにしながら考えていたのは、自分はおそらく宮脇さんの立場にたったとき、同じようにふるまうことはできないだろうということでした。しかし……と私は立ち止まって、思いをめぐらせます。宮脇さんはごく自然にそうすることができたのだろうか。いや、そのようにしたかったから、そうしようとしていたのか。今となっては、そのどちらでもあったかもしれない、と思います。

「本書では、建築家・宮脇檀が生前、旅に持参していた手帖のうち最後に残された3冊の大半を紹介する。原則的に手帖の頁順を守り、50分の1で描かれた実測図は原寸で収録。さらに、これら実測図やスケッチに関連すると思われる宮脇檀の文章を引用した」と注釈のついたこの本は、お嬢さんの宮脇彩さんが編集した特別な本です。最後のほうには慶応病院の個室の平面図も描かれている。私が座って宮脇さんと話をしていたその場所が、いま宮脇さんがいるであろう上空から眺められている。そんな気がして、10年前のあの時間と空間にひきもどされる感覚におそわれました。装幀造本もすばらしい。思わぬ贈り物が、ふわりと届いたような気持ちで、たったいまも机の上に置いて、眺めています。
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