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丸谷才一『思考のレッスン』(文春文庫)

 この本は単行本が刊行されたときに読んでいたのですが、先日ひさしぶりに文庫版を読み返してみたら、次号の特集「海外の長篇小説ベスト100」の話題とリンクする部分があちらこちらにあって、新鮮な気持ちでぐいぐいと読み進めてしまいました。

 構成は六つに分かれています。目次を書き出してみましょう。

 レッスン1 思考の型の形成史
 レッスン2 私の考え方を励ましてくれた三人
 レッスン3 思考の準備
 レッスン4 本を読むコツ
 レッスン5 考えるコツ
 レッスン6 書き方のコツ

 丸谷才一という作家に、これまで一度も触れたことがない読者が何気なく手にしたのが本書だとしたら、そして「作品」と「作家」に対する興味を五分五分ぐらいの割合で持っている人だとしたら、本書はかなり「お役立ち」感のある本かもしれません。たとえば「レッスン1」では、丸谷才一という人がどのような土地に生まれ、少年時代を送り、どのようなことに悩み、どのような本を読んで刺戟を受け、そして作家となっていったのかを、上手につくられた映画の予告篇を見ているかのように、たどり直すことができます。

 ご存じのように、批評家、エッセイストとしての仕事にも大きな比重がかかっている丸谷才一という作家には、「源氏物語」からマルクシズムまで横断するような自在な興味の幅があります。本書を読み進めてゆくと、その興味の幅の鳥瞰図のようなものまで見渡すことができる。平面的ではなく、三次元的な空間のなかに浮かびあがってくる丸谷才一という作家像の輪郭を、「レッスン1」のたった40数ページだけで有機的につかむことができるのですから、本書の構成と話の進め方は、かなり練り上げられたものであることがわかります。

 その一方で、読者への具体的なアドヴァイスも多い。きわめて実用的でもあるのです。「レッスン4」から「レッスン6」までは、作家としての経験と知見にもとづいた、読むこと、考えること、書くことについての具体的なヒントが軽快に、端的に、書かれています。詳しくは読んでいただくしかないのですが、「文章は最後のマルまで考えて書け」とか「対話的な気持で書」こう、といった、すぐにでも実践できそうな気にさせる明快なアドヴァイスが、ポイントをギュッ、ギュッと絞ったかたちで提示されています。丸谷さんの名著『文章読本』には書かれてない「補遺」的な要素も、本書には盛り込まれているというわけです。

 さて、次号の特集「海外の長篇小説ベスト100」とリンクする部分で面白かったところとはどこか。その一部を抜き出してみましょう。

「『おもしろくない本は読むな』。誰から勧められた本でも、読みはじめておもしろくないと思ったら、そこで止める。よく『必読書百選』といった類があって、読んでないとどうも具合が悪い思いをすることがあります。でも、おもしろくないと思ったら、断固として『これは読まなくてもいい』と度胸を決める。それが大事ですね」

「小学校の上級生のときだったと思いますが、僕は小説家になりたいという自分の希望を、初めて従兄弟に打ち明けたんです。従兄弟は山本甚作という画家で、先般亡くなりましたが、その頃は上野の美校の学生でした。いまの藝大ですね。そのとき、彼は僕にこうアドバイスしてくれました。
『小説家になりたいなら、大学で外国文学を勉強して、外国の小説の翻訳をやって、小説の書き方を勉強せよ』」

「『坊つちやん』は十八世紀イギリス小説の影響を受けて生れた小説と考えたくなる。二十世紀の小説のようなうるさい感じがないし、十九世紀の小説の面倒臭い感じもない。もっとのんびりしていて、いい意味で大味である。これはひょっとすると、漱石が熟読していたフィールディングの作品に無意識のうちに刺激されて、でき上がった作品ではないだろうか」

「たとえばガルシア=マルケスの小説を読んでいると、空想的に設定された共同体のために書いてるという感じがひしひしとする。実在はしないかもしれないけれど、それを夢見る能力がラテンアメリカの作家たちには一時かなりあった。それがラテンアメリカ文学にあれだけの盛況をもたらしたんじゃないのかなあ」

「海外の長篇小説ベスト100」を大特集した次号は、発売まであと約一週間です(4月4日金曜日に店頭にならぶ予定です)。丸谷才一さんへのロングインタビュー「長篇小説はどこからきてどこへゆくのか」とあわせて、本書をぜひおたのしみください。
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