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武藤康史『文学鶴亀』(国書刊行会)

 予期せぬタイミングで、待ちに待った本が出ました。いや「待ちに待った」と言っては嘘になります。何しろ本書が出る予兆はどこからも漂ってはこなかったのですから。しかし、こうして思わぬときに本書を手にし、少しずつ読み始めてみると、これを「待ちに待った」と言わずして何と言おう、と思えてくる。こういう本にはめったにお目にかかれません。まさに「鶴と亀」のようにめでたく、言祝ぎたい新刊です。

 武藤さんは国語辞典を味読する人として、あるいは年譜、書誌づくりの名人として、右に出る者のない人です──と手短に説明してしまうと、紹介する角度、幅がどこか甘くて物足りない。じゃあためしにウィキペディアではどのように書かれているかとチェックしてみると、お……武藤さんの卒業した都立国立高校のことや、畑中佳樹、斎藤英治両氏と映画・文学批評の同人誌「キップル」を発行していたことなど、意外と深い情報が載っているではありませんか。武藤康史入門篇としては、なかなかの内容になっています(本書『文学鶴亀』刊行後の記述もかなり含まれている模様)。

 私が最初に武藤さんにお目にかかったのは、ジョン・アーヴィングの村上春樹訳『熊を放つ』刊行の打ち上げの席でした。中央公論社(当時)の安原顯(故人)さんが主催して、参宮橋の「くりくり」という店で村上春樹さんを中心にして関係者が集まる会食があったのですが、そこでご挨拶したのが初対面でした。なぜ私もそこにいたのか記憶がさだかではありません。村上春樹さんの翻訳を、柴田元幸氏、上岡伸雄氏、斎藤英治氏、畑中佳樹氏、武藤康史氏がチームとなってサポートする(このあたりの詳細は、村上さんが「訳者あとがき」で触れています)体制で進められた本で、武藤さん以外の方々にもここで初めてお目にかかったのですが、皆さん全員20代から30代前半という若さ。私もほぼ同世代でしたから、なんとなく気持ちの浮き立つ、楽しい会でした。

 その後の「村上春樹チーム」の皆さんの個々の活躍はあらためて説明するまでもないと思います。ほどなくして武藤さんが雑誌や新聞に書くようになった文章は、余人を持って代え難いテーマの選択、文章の体温と肌触り、そこへ独特のユーモアが加わって、毎回期待を裏切られることがありませんでした。いつしか「武藤康史」と記名があれば無条件で読み始めてしまうようになったのは、おそらく他の「武藤康史」ファンの人々も同じでしょう。

 とにかく手を抜かない。どこかでかならず「おっ」と思わせる仕込みがあり、さらに技を決める腕もある。インターネットをいくら駆使しようともたどりつけない、分厚い読書体験の蓄積に支えられ、すいすいと文献を渉猟してゆく足取りの確かなこと、テーマに寄り添って練り上げられた軽みのある文章には、かならずや顔がほころんでくるのです。

 たとえば本書の「編集者の手紙」と題された章では、原稿依頼の手紙の難しさを他人事ではないなと思いながらも、次のようなところでは思わず吹き出してしまう。

 
「原稿の依頼でもプラトン社時代の川口松太郎の手紙は情ない。
一面識もない私風情から突然にこんなお願ひをして恐れ入りますが、僕は苦楽と云ふ雑誌の編輯をしてゐます、通俗雑誌です、原稿をお願ひ申したいのですが、書いて下さいませうか。野心礼を做〔倣〕はずぶしつけな事を云つてすみません、お願ひする事が出来るか、それともおいやでせうか、一応お伺い申します。御返事を頂かして下さいまし。
 というのが大正十三年六月二十七日付のはがきの全文だが、熱意のかけらも窺えない。七月三日付の、
早速御返事有難う存じます、苦楽一部をお送り申しました、先生が歴史小説をお書きなさる事を僕は知ってゐます、さう云ふムキで好適の材料はございませんか。程度のひくい雑誌なので、お願ひしにくいんですけれども。如何でせうか。
 というはがきもあるので(これで全文)、恐らく花袋から、検討するから雑誌を見せよという手紙が来たのだろう。最初から送っておけと川口松太郎に言いたい。」

 武藤さんの文章の態度には、「愛」と「ゴシップ」と「倫理感」の三つ(うしろの二つは川口松太郎の葉書問題によく出ています)がせめぎ合うように伏流しています。たとえば里見弴への限りない「愛」(本書の巻末にある索引を見ると、本文が300頁強のなかで合計40頁近くにも及ぶ頁で言及されている)。この「愛」は一途といっていい潔さがあります。私は酒屋の前を歩いていて、店のなかから漂ってくる奈良漬けの匂いを嗅いだだけで赤い顔になり酔っぱらってしまう下戸のように、武藤さんが里見弴著『文章の話』(岩波文庫)を薦めるくだりを読むやいなや、本を片手に持ったままインターネット書店にアクセスし、買い求めてしまったほどです。
 
「文学」と言っても武藤さんの「文学」のフィールドは入り組んだ路地の集積のように奥深く油断がなりません。本書でとりあげられる話題は、辞典、朗読、舞台、映画などにもおよび、しかもそれらのすべてから「文学」の二文字が浮き上がってくる。「文学」の衰退などと言う輩がいたとしても、武藤さんにとっては、コタツに入ってミカンを食べながら言う不平の域を出ないのです。武藤さんはとにかくあらゆるところへと出かけて行き、手に取って匂いをかぎ、撫でたり握ったり噛んだりしながら、味わう。私はその武藤さんの一挙手一投足に、本当の学者の姿とはこれだ、という確信に近い思いも抱くことになります。

 とにかく一気に読んでしまってはもったいない。ちびりちびりと一章ずつ、急がず慌てずドキドキしながら読み進めようと思っています。たぶんこれからも二度三度と読み返すことになるでしょう。武藤康史、万歳。
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