Kangaeruhito HTML Mail Magazine 285
 

渡辺和博『お父さんのネジ』(青林工藝舎)

 渡辺和博さんが亡くなって1年余りが過ぎました。渡辺さんはなんといっても『金魂巻』のイメージが強いのではないかと思います。バブル黎明期の日本人を、ファッションや言動、趣味志向で分類し、人はかならずしも自分が独自に思い描いたように生きているのではなく、ある既成の「枠」や「型」のなかに自分を当てはめて、それに従うようにして生きているのだ、ということを明らかにしてしまう画期的な本でした。

 入社してすぐに配属された「小説新潮」時代に、コラムのさし絵の依頼でお目にかかったのが渡辺さんとのおつきあいの最初でした。当時渡辺さんの事務所は、目黒駅から歩いて五分ほどのところにある、瀟洒なマンションの一室でした。窓から隣の墓地が見下ろせる場所にあり、「お墓をさ、こうやって見下ろしながら暮らすのって、いいよね」とおっしゃったこともありました。

 渡辺さんとは完成したイラストレーションを受け取りながら、よく昼食をご一緒しました。近所の蕎麦屋とか、新しくできたフランス料理屋とか、女性誌にのるような、お洒落な雰囲気の店を探し出して行くのがお好きでした。ランチの時間帯は圧倒的に女性客、というような雰囲気の店でしたから、私と渡辺さんという謎の組み合わせの二人がぼそぼそと喋りながら食べていたのはかなり変だったのではないか、と思います。

 渡辺さんはとにかく観察します。どんなお客さんが入っているのか。従業員のたたずまい、言葉遣いはどうか。メニューや値段、レストランの立地、あらゆるディテールが渡辺さんの好奇心の対象です。基本的に言葉数の少ない渡辺さんは、どこか未開の地へ踏み分ける気難しい文化人類学者のような雰囲気さえ漂わせていました。

「ぼくはランチコースのAをたのむから、あなたはBにしなさい」と言われ、今日はなんだか機嫌が悪いのかな、と思っていると、突然どこか断定するようは口調で、ある現象についての分析を始め、やがて悪戯っぽい笑顔に変わるのです。「みんな無印良品の白いシャツ着てさ、一番上のボタンまでしっかりと留めてるけど、あれって結局、老人のファッションと同じでしょ。みんな一刻も早く老人になりたいってことだよね。老人趣味だよね」。

 冗談と本気が混在したような渡辺さんの「フィールドワーク」は、あらゆる現象が対象でした。だからどこへでも出かけてゆく。夜になると、ほとんどお酒は飲まないのに、西麻布の「クーリーズ・クリーク」とか、表参道の「ピテカントロプス」とか、当時の最先端のカフェバーやスポットへと繰り出し、あるいはホテルニューオータニの「トレーダーヴィックス」にも出かけて行って、もろもろを観察します。そういえば、開園早々の東京ディズニーランドへもご一緒したことがありました。幽霊屋敷をテーマにした「ホーンテッドマンション」では、移動する二人がけ椅子に乗りながら、幽霊たちの舞踏会の場面にさしかかったとき、「カップルがキスするとしたら、ここだよね」と断言したのを覚えています。

 渡辺さんの立っている場所はまわりに較べて2℃か3℃ぐらい低い感じがします。たとえ渡辺さんの周囲が熱っぽい空気に包まれていたとしても、その影響は全面的には受けない。渡辺さんの頭脳の温度はほとんど変わらないのです。それはたぶん、渡辺さんがきわめて頑丈な、内面的人間だったからではないか、と思うのです。作家的な資質と言い替えてもいいものかもしれません。

 本書は、その渡辺さんの作家性が思う存分に発揮された、初期のマンガの仕事を集大成したものです。『タラコクリーム』『タラコステーキ』『熊猫人民公社』など、当時単行本化されたものは、近年は手に入らない状態でしたが、本書はそれらのマンガをすべて収録しています。全576ページ。厚さ45ミリ。巻頭には告別式における赤瀬川原平氏、南伸坊氏の弔辞が、また嵐山光三郎氏による解説、巻末には南伸坊氏、みうらじゅん氏、リリー・フランキー氏による座談会も収録されて、渡辺さんの人となりも含めた追悼が行われています。

 渡辺さんのマンガの面白さは、どぎまぎするほどリアルであると同時に、現実ではあり得ないようなシュールな設定がしのびこんでくるところ、でしょうか。広島弁で話す家族(渡辺さんは1950年の広島生まれです。マンガには広島弁がいっぱい出てきます)のところにある日突然ロボットのお父さんがやってくるとか、「毒電波」ノイローゼになっている母子が電波よけのナベをあたまにかぶってしまう怪しい瞬間が描かれたりもし、ときには戦争中の満州やヒットラー、あるいは未来都市まで登場してきます。しかしそこに描かれている人間の気配は、どこか共通している。まわりがどう変わっても、変わりようのない人間が描かれている、と感じます。そのいっぽうで、イノセントなものは、正常と異常の幅のなかで、いかようにでも暴力的に振る舞うことがある──そんなことまで描き出しているのです。

 渡辺さんは不思議な人でした。半分ぐらい宇宙人だったのかもしれません。ひょっとすると神様のようなものが少し入っていたのかもしれない。何か超然としたところのある様子からは、そのような空想まで浮かんでくるのです。肝臓癌の闘病記(『キン・コン・ガン! ──ガンの告知を受けてぼくは初期化された』 文春文庫PLUS )でも、低めの温度を保ったまま観察を続ける態度を崩さなかったのは、つまりはそういうことだったんじゃないか、と思います。

 私はこれからも、ちょっと心が弱ったときには、この過激なマンガを引っぱり出して読み直すかもしれません。渡辺さんの声を立てない笑顔を思い出しながら。
Copyright 2008 SHINCHOSHA (C) All Rights Reserved