須賀敦子さんには、年子の妹さんがいらっしゃいます。全集に収録された書簡のなかにも、「こじょん」という愛称でたびたび登場する北村良子さんです。ちなみに「こじょん」というのは、須賀姉妹の幼少時、家にいたお手伝いさんたちが、良子さんのことを小さいお嬢さんという意味で「こじょんちゃん」と呼んだことからつけられた愛称だそうです。

長女の須賀さんは1929年1月19日生まれ。次女の良子さんは1930年2月23日生まれ。13ヶ月しか年のちがわないこの姉妹は、家の中でも外でもいつでもいっしょでした。本を読み、近くの松林をかけまわり、おしゃべりにも夢中――。18歳のときには、須賀さんのあとを追うように、良子さんもまたカトリックの洗礼を受けています。今回の特集では、その良子さんに、妹の目からみた須賀さんのお話を伺うことができました。ここでいくつかご紹介しましょう。

夙川の須賀の家は、西側の庭の崖下に、今と違って広い田んぼが二面あり、その向こうに小川をはさんで、通称稲荷山といわれた深い松林の丘があり、春には山つつじがいっぱい咲くし、とても自然に恵まれていました。……そこいら辺を自由に駆けまわって遊んで、お人形遊びなんて二人ともしたことがない。植物の名前はたくさん知っていましたね。

須賀さんは、1961年に結婚した夫のペッピーノさんを67年に亡くしたあと、71年に帰国。72年から75年までの3年間、カトリックの社会活動であるエマウス運動に没頭します。

あのときは、ペッピーノや父とか、そういう失ったもののすべてを忘れるために没頭しているのかなと私は思いましたね。……汚いジーパンはいて、髪型も短く切って、四〇歳を過ぎていて、なんでそんなふうになっちゃうのという感じでした。エマウスの若手のスタッフを従えて。手下を従えるのが子どもの頃から好きでしたからね(笑)。

やがて須賀さんは大学で教鞭をとるようになり、90年には初めての著作『ミラノ 霧の風景』を刊行。病に倒れたのは、初めての長篇小説を構想しているさなかのことでした。最期までそばに寄り添った良子さんに、子ども時代から早すぎる晩年まで、親との軋轢もいとわずに前へ前へと進んでいった姉・須賀敦子さんのことを、ゆっくりと聞かせていただきました。そのはつらつとした姿に、新たな魅力を発見していただければと思います。