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中野好夫『人は獣に及ばず』(みすず書房)

「考える人」最新号(明日、4日発売です)の特集は、「小説より奇なり! 自伝、評伝、日記を読もう」。そして、特集のなかで複数の方に評伝の傑作として取り上げられたのが、中野好夫の『蘆花徳冨健次郎』です。

 1903年生まれの中野好夫は(1985年没)、ギボン『ローマ帝国衰亡史』や『チャップリン自伝』などの翻訳で、また著作としては『アラビアのロレンス』、『人間の死にかた』などで、多くの読者の目にふれてきた英米文学者です。本書の裏に書かれてある紹介文にあるとおり、「歯に衣着せぬ鋭い」批評精神において、右に出る者のない存在でもありました。

 1974年に刊行が完結した、中野好夫による評伝三部作『蘆花徳冨健次郎』は、読み始めたらやめられないおもしろさに満ちあふれています。取り上げられた徳冨蘆花の人物としての魅力ばかりではなく、この評伝の独特の語り口、つまり書き手の人柄がじわじわと透けて見えてくる文体にも、読者をひきこんではなさない秘密が隠されていたのではないかと思います。

 本書は、その『蘆花徳冨健次郎』刊行の前後から1980年頃までに雑誌、新聞に発表されたエッセイをまとめたもの。社会や時代への手加減のない批評、友人知人を惜しむ真情あふれる追悼文など、どれも目鼻立ちのくっきりとした文章ばかりです。『蘆花徳冨健次郎』にその片鱗がのぞいていた人柄が、体温をともなって伝わってきます。

 あらためて本書を読み直して深く動かされたのは、なんといっても追悼文のすばらしさでした。たとえば、『蘆花徳冨健次郎』の版元であった筑摩書房の創業者、古田晁氏を追悼する一文、「何をいったらいいのか」と題するもの。舞台裏に徹する出版人の、世間には知られざる横顔があざやかに描き出されています。戦後まもなくの頃にはごく小さな規模であった出版社と、社屋にしばしば通っていた著者との親密な交流の光景が実に新鮮です。そして追悼文には、当時の著者と出版社のあいだに流れていた空気のようなものが、映画のワンシーンのようにとらえられてもいる。その冒頭──。

「あの青山斎場で永久に古田君を送った、そのすぐあとであった。わたしたち十何人かは、近くの控室に案内されて一休みした。井伏鱒二さんがいた。石川淳さんがいた。中野重治さんもたしかいたように思う。そのとき誰かが、ポツンと呟くようにいった──古田にはずいぶん世話になったなァ、と。不思議と誰も言葉にしては応じなかった。呟きはそのままに消えた。だが、そのときのわたしの印象は、決してそれが聞き流されたわけではない。むしろ一切言葉の限界などをこえて、より深く、よりしみじみと、みんなの心に沈潜していったとでもいうか、そうしたそれは沈黙の一瞬であった。わたし自身も、改めて呟きの主をたしかめてみる気にはなれなかった。古田君との最後の別れを思うと、奇妙にわたしはこの一瞬のことが忘れかねるのである」

 ビジネスの話から離れた古田氏の雑談のおもしろさ、著者の病気をめぐる気遣いや女性問題の後始末、当人の酒癖にいたるまで、「二度とはもう現われまいと思える貴重な友人の思い出を、ぜひとも一度は文字にしておきたかった」という思いから、たんなる美談には終わらないリアリスティックな筆致によって描き出されたその横顔は、なんともいえない魅力ある人物像となって、読者のなかに立体的に浮かび上がってくるのです。本書には他にも、阿部知二、渡辺一夫、角川源義、山本有三、ハーバート・ノーマン、吉川幸次郎、吉野源三郎、大宅壮一といった人々を送る言葉が収録されています。

 中野好夫という書き手の姿勢は、「言葉」だけを信じることをよしとしない、ある種のニヒリズムがあったのではないか、と感じます。それはおそらく気質ばかりではなく、第二次世界大戦下の日本の状況をつぶさに見、感じ、考えたことから来るものではなかったか。さらに言えば、その感覚は戦後に癒されてゆくどころか、ますます強い確信となって育っていったのではないか。そう感じるのです。標題にある「人は獣に及ばず」とは、司馬江漢が「春波楼筆記」に記した言葉で、中野好夫の心の底にある何かと深く共鳴したものらしい。その標題をかかげたエッセイのなかで、中野好夫はこう書いています。

「人間とは、果たしてそんなにえらいものなのであろうか。たとえば自然環境の中での人間の在り方(とりわけ今世紀来の)など、まず考えてみるがよい。獣、いや、動物の方がはるかに美しい調和の中で生きているのではないのか。およそ世に人類ほど邪悪で、残忍で、貪慾で、しかも醜陋な生物は、かつて存在もしなかったし、また将来も断じて存在しえまいとさえ思える」

 最後に、本書のなかに収録されている「日記、書簡、回想録等々について」に触れておきましょう。中野好夫は、日記、書簡、回想録といった文献について「わたし自身が、そうした文献には、なんともいえぬ魅力を感じるほうで、したがって、これまでも再三お世話になった経験はある」としながら、こう続けています。

「だが、ひるがえって考えると、ある特定の人物がその日記なり、書簡なりに記していることが、すべてそのまま事実であるかという問題になると、きわめてこれは疑問であることもおびただしい。うっかり鵜呑みすると、たいへんな誤りを犯すこともあれば、第一、他の関係者諸君はとんだ迷惑を受けることにもなる。つまり資料そのものは貴重にちがいないが、利用者はよほど警戒してかからねばならぬということである」

『蘆花徳冨健次郎』に終始一貫し、作品の質をたかめていた書き手の姿勢が、ここに明確に書かれています。そして、中野好夫自身はといえば、日記はつけていなかったらしい。このエッセイは、最後に次のように締めくくられています。中野好夫という人の、手強くゆるぎない、ある覚悟のもとの生きる姿勢が、率直、端的に伝わってくるではありませんか。

「では、どうするのが一番よいのか。日記も手紙も回想記も、あげて一切書かぬことである。行蔵われに存す。他はすべて人の言うにまかせることである」
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