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玉村豊男『里山ビジネス』(集英社新書)

 玉村豊男さんの個人経営のワイナリー、ヴィラデストがオープンするまでの孤軍奮闘の物語は、2002年から「考える人」で連載され、『花摘む人―ヴィラデスト ワイナリーができるまで―』という本にまとめられています。そして2004年、「ヴィラデスト・ガーデンファーム・アンド・ワイナリー」がついにオープン。すでに5年目に入ったワイナリーは、冬期の休業期間をのぞいて、春、夏、秋と無休で営業し、連日大盛況、観光バスまで乗りつける人気スポットになっているようです(http://www.villadest.com/index.html)。

 成功の理由は何だったのでしょうか。長野新幹線の上田駅からタクシーで20分。もちろん路線バスが通っているわけではなく、自家用車がなければ「散歩がてら立ち寄ってみよう」という気軽な行き先でもありません。美術館や公園、宿泊施設が隣接しているわけでもない。わざわざワイナリーで半日時間を過ごすことだけを目指してやって来るしかない、そういう場所なのです。計画とその結果を結ぶ線が真っ直ぐピンと張っていて、あまりハンドルの遊びがない感じ、「のるかそるか」というハイリスクなものとでもいえばいいでしょうか。

 そもそもワイナリーは莫大な初期投資が必要で、人件費もかかり、予測できない冷害などバックアップの難しい被害に見舞われる可能性があります。労多く、費用もかかり、しかもきわめてリスクの高い事業であることを著者は認めています。そんな割に合わない事業を人里離れた場所で始めようとするときに、いったいどれほどの勝算があったのか。

 ワイナリー経営に具体的に取り組み始めたとき著者はすでに57歳。会社員人生であれば、そろそろまとめに入り、あぶないことには手を出さず、静かに引退後を思い描く時期でしょう。そんな遅い午後の時間帯、言ってみれば人生の夕暮れ時に、大きな賭けに出たことを「無謀、暴挙、愚行、なんといわれてもしかたがない思いつきでした」と著者自身が本書に書いています。

 大資本がワイナリーを事業として成立させようとする場合には、立地条件からコスト、運営の方法まで、まったく違う角度から検討、立案がなされたでしょう。そしてプランが具体化されたとき、どんなワイナリーができあがっていたか。間違いなく言えるのは、現在あるヴィラデストとはまったく異なるものだったろうということです。それ以前に、着手される手前で計画は中止されたかもしれず、オープンしたとしても赤字続きで早々に撤退してしまったかもしれない。これは結果論ですが、現在のヴィラデストほどの成功につながったかどうか、かなり怪しいのではないかと思います。

 企業が新しい仕事に取り組むとき、そこには過去に蓄積された事例、前例が並べられ、様々な角度から複数の目がその「新しい仕事」のプランを厳しくチェックし、リスクも周到に計算されます。それは、大きな組織が、組織として機能している限り、必ず行われることであり、だからこそ組織の必要性、有効性がある、とも言えます。しかし、ブレーキが利きすぎるようになると、スピードが落ち、馬力も落ちます。前進する力、推進する意志が、弱められてしまう。著者はかつてどっぷり漬かっていた雑誌業界の話を具体例に、こう書いています。

「もう三十年くらい前になるでしょうか、雑誌がもっとも活気のある媒体として注目を集め、多くの有能な若者がライターや編集者として集った時代がありました。(中略)やりたいことをやる、という明確な姿勢が、生き生きとした雑誌の魅力を生んでいたのです。ところが、いつの頃からか、雑誌の企画を決める編集会議で、『この企画のターゲットは?』などと発言する奴があらわれはじめました。すると、『これで広告が取れるのか』と横から編集長が口を出す。かつては、編集センスは抜群だが経費の計算は苦手、というのが編集長には多かったのに、知らないうちに、コスト計算ができないと編集長は勤まらない、という時代に移行していたのです」(注 本で改行されている部分はつなげてあります)

 うーむ。何とも返事に窮する指摘ですが、真っ向から反論できる編集長がいったいどれぐらいいるでしょうか。出版、雑誌の世界がすでに成熟産業になっているとすれば、野蛮に大股で行く前進より、一歩一歩たしかめながら行くゆるやかな前進を選択することについて不思議はありません。そして日本全体もまた、高度経済成長から半世紀の時間を経て、成熟産業的な均衡のなかで内向きのゆるやかな停滞のなかにある、と見えなくもない。そのように考えてみると、著者の指摘は出版界にとどまらない視線の伸びを持っていると感じられるのです。

 本書を読んでいてつくづく思ったのは、個人の力というものでした。個人の野蛮な思いつきと行動が原動力にならなければ、実現しないものが世の中にはまだまだある、ということです。時代の空気として「個人ではもはやどうにもならない」とお手上げのムードが漂っているようですが、そのなかで、いやそうでもない、と思えるような個人による起業がぽつぽつと、しかし以前よりもしっかりと視界に入ってきている──そんな気がするのです。

 本書の紹介からちょっと脱線しますが、私が近年、個人の力ということで驚かされたのは、バングラデシュでジュートを使ったバッグをデザイン、製造している20代のバッグデザイナー、山口絵理子さんの仕事です(http://www.mother-house.jp/story/1styrmh.php)。彼女の仕事ぶりは「情熱大陸」というテレビ番組で始めて知ったのですが、かいつまんで言えば、大学卒業後、開発途上国支援の仕事からこの世界に足を踏み入れ、やがて「支援し、支援される」一方的な関係に疑問を持ち、お互いが対等な関係を築きながら開発途上国の人々の自立、発展を実現できないか、と思い立ったことから、バングラデシュに住み着き、何度もあぶない目にあい、失敗も重ねながら、しかも現地の人々の士気を高めつつ、バッグのクオリティにも妥協せず、オリジナルなバッグをつくりあげるところまでたどり着いてしまった。しかも日本での販売も成功させ、今やおそらくバングラデシュで最も有名な日本人のひとりにもなっている。彼女の蛮勇はまさに「個人の発想」「個人の力」がなければありえなかった仕事だと思います。

 ヴィラデストで働いているのは多くの若者です。著者の子どもたちといってもいい若い世代。彼らの働く様子を見ていると、自分たちがヴィラデストを運営している、というような意志と意欲の感じられるとてもいい表情をしています。働かされている、という感じがしないのです。個人の発想からうまれた大胆な新しい仕事は、個人だけでは動きません。その発想に吸い寄せられる複数の人間が必要です。やはり組織は必要なのです。しかし組織が個人を働かせるのではない。個人が動き、組織がうまれる。組織はひとりひとり意志を持った個人が自主的に運営する。本書を読みながら、停滞する日本の状況を変えてゆくのは、個人の力なのではないか、と強く印象づけられました。

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