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瀧口範子『なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか?』(プレジデント社)

 昨年の秋、「考える人」でアメリカの特集を組みました(07年秋号「アメリカの考える人たち」)。取材地域をカリフォルニアに限定し、現在のアメリカ社会、経済、思想に少なからぬ影響を与えつつある、新たな動きの源流にあるものは何かを探りました。最前線に乗り出すよりは、いちばん後ろからゆっくり歩きながら考えようとする小誌には、少しばかり背伸びしたテーマだったかもしれません。ではありますが、現地を取材した編集部にとって、何度となく新たに目をひらかれる思いのする特集になりました。

本書は、特集「アメリカの考える人たち」にも参加し原稿を寄せてくださった著者による最新刊です。カリフォルニア在住の瀧口さんは、IT産業を中心としたアメリカの「新たな動き」の渦中に身を置き、文化人類学者のようにフィールドワークを行いながら、そのレポートを日々刻々と「シリコンバレー通信」に発表しています。本書はこの「シリコンバレー通信」を、テーマごとに並べ替え、加筆して編集し、さらに書き下ろした原稿も加えたもの。

 出版の世界に身を置く者として、いま個人的にもっとも気になっているものがあります。それは、アメリカでスタートしたばかりの電子書籍リーダー「キンドル」のこと。「キンドル」とは何か。すでにご存じの方も少なくないかと思いますが、本書でも、当然のことながら「キンドル」がとりあげられています。「アマゾンのキンドルが欲しい!」の章はこんな書き出しです。

「アップルのスティーブ・ジョブズが最近、『キンドル』についてこんなコメントを述べたそうだ。
『まあ、いいか悪いかの話じゃなくて、そもそも本を読む人なんてもういないよ』
  キンドルは、オンライン書店のアマゾンが二〇〇七年秋に発売した電子書籍リーダーである。ペーパーバックを少し大きくしたくらいのサイズで、重さは約三〇〇グラムと軽量。書籍だけでなく、新聞やブログも読める。電子辞書機能もあり、ウィキペディアにも接続可能で、スクリーンも明瞭、ページ繰りも簡単。
 お値段は三九九ドルとちょっと高めだが、私はこれが欲しくて仕方がない。なんといっても、キンドルを持っていれば、ベストセラー新刊本が一〇〇〇円ほどで買えるのだ。アメリカのハードカバー新刊本はたいてい二五〇〇円ほどの価格がついているから、これはかなりお買い得だ。
 ところが、いつ見てもキンドルは品切れ状態で、どうやら一部の人々の間ではけっこうな人気になっているらしい。今度入荷したら買おうか、あるいは日本語版が発売されるまで待つべきか迷っている」

 キンドルがなぜ優れているのか、コスト、通信機能も含めて、ここからさらに詳しく述べられているのですが、興味のある方は本書にあたっていただくことにして、ここでは瀧口さんならではのレポートの面白さはいったいどこからやってくるのか、考えてみたいのです。

 シリコンバレーを中心とした最前線の情報が面白い。もちろんその要素も大きい。そして、最新情報についてとてもわかりやすく書いてある。これも魅力。瀧口さんは上智大学外国語学部でドイツ語と国際関係を専攻し、卒業後は雑誌社で編集者をつとめ、1996年からフルブライト奨学生として、スタンフォード大学でジャーナリスト・プログラムの研究生活を経験しています。つまりバリバリの理工学部系で、コンピューター畑を歩んできた人、ではない。「あとがき」にはこう書いてあります。

「一九九六年秋、テクノロジーなどほとんど知らない私が、シリコンバレーにやってきて最初に足を踏み入れたのが、スタンフォード大学のコンピューター・サイエンス学部だった。そこから二年続く客員研究員の居候先は、この学部で認知学を専門とするテリー・ウィノグラード教授の研究室である。
 コンピューターのことを知りたいが、プログラムは書けない。工学、心理学、社会学、言語学など、さまざまな領域をまたぐ認知学に救いを見いだしたような気がして、この研究室に加えてもらったのだが、実際にセミナーや授業に出てみると、わからないことだらけの毎日だった。『メタデータ』『インフラレッド』『プロキシ』『クロール』……と、聴き取れるものの意味不明な単語が続き、もはやここが英語圏かどうかさえ怪しく感じられたほどだった」

 そもそもこういう人であったからこそ、IT産業の最前線について誰にでもわかるように書くことができるのではないか。そしてここがいちばんの魅力だろうと思われるのは、瀧口さんの文章の人に対する飽くなき興味から発した部分です。新しいテクノロジー、イノベーションへの関心はもちろんある。しかしそれと等価の関心が、新しいテクノロジー、イノベーションをもたらした人物そのものに向けられている。ここが面白いのです。

「キンドル」について触れた章で、アップル社のスティーブ・ジョブズが「本」についてかなりシニカルなセリフを吐いていましたが、瀧口さんはそのセリフを単に情報として伝えてお終いにはしていません。iPodやiPhoneより「キンドル」が数段優れている点を指摘した上で、スティーブ・ジョブズの冒頭に引用したシニカルなセリフは、実は「本当のところは『先を越された』と悔しがっているのではないのか」と分析しているのです。ははあ、なるほどね。それはたしかにありそうな気がしてくる。

 とにかくあらゆる場所にこまめに足を運び、顔を出して、面識を得るようになれば、次に会ったときには聞きたいことをダイレクトに聞いてしまう。インターネットであらゆることは調べがつき、最新情報について気の利いたコラムぐらい書けてしまう、とも言える時代に、瀧口さんはとにかく重要人物に直接会っているのです。このことが本書のリアルな読み応えを保証しているのではないか。

 梅田望夫さんの『ウェブ進化論』によって、「ウェブ2.0」という言葉とその考え方は私たちにもわかりやすく伝えられましたが、その言葉をアメリカで最初に広めたのは、メディア企業「オライリー・メディア」の創業者、ティム・オライリーです。瀧口さんはオライリーにも会って話を聞き出しています。「ウェブ2.0の名付け親、ティム・オライリーの田園生活」の章では、オライリーが率いる会社がシリコンバレーではなく、さらに北へ向かって車で三時間ほどかかる人里離れた場所にあることが書かれています。

「その田園の中で大きな事務所を構え、週末には長靴をはいて馬の世話をしたり、山の木々を切ったりする。芸術、技術、アウトドア、何でもござれという具合だ。シリコンバレーのベンチャーキャピタリストたちは、週末になると、おしゃれでカラフルなアウトフィットを身につけてサイクリングなどに興じているが、オライリーの場合は、もう手づかみで山と格闘するレベルである。
 彼のような人を見ていると、私が理解しているシリコンバレーなどまだまだ浅いと反省することしきり。小手先でない、ここにうごめくもっと大きな力を見きわめたいと思うのである」

 現場感覚に満ちた瀧口さんのレポートに、これからも注目していきたいと思います。
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