未完の長篇「アルザスの曲りくねった道」の主人公は、一九七二年に須賀さんが出会うことになる修道女、オディール・ゼラーがモデルとなるはずでした。一九七二年といえば、伴侶であったペッピーノが六七年に、父が七〇年に亡くなり、須賀さんが帰国を決めた翌年です。七二年に須賀さんは、母親も亡くしています。オディールは、近親者を次々に亡くした須賀さんにとって、何か大切なことを相談するときの頼りとなる相手であったようです。

 オディール・ゼラーはフランス、アルザス地方の生まれでした。一九九五年に須賀さんが長篇の構想を得たとき、オディールが亡くなってすでに十二年の歳月が過ぎていました。須賀さんの初めての著作『ミラノ 霧の風景』が九〇年に刊行されてから、『コルシア書店の仲間たち』、『ヴェネツィアの宿』、『トリエステの坂道』とつづいたあと、次にはこれまでの書き方とは異なった小説の形式によって書く、と須賀さんの気持ちはかたまっていったのです。

 当時「新潮」の編集者だった鈴木力氏に、須賀さんがまず相談をしたのは、オディールの故郷、アルザス地方への取材旅行についてでした。鈴木氏が同行することになった取材旅行とはどのようなものだったのでしょうか。

 担当編集者の鈴木力氏は、スナップ写真、日録、取材先などで得たパンフレットなどの資料のすべてをそのまま保管していました。また、須賀さんが病に倒れて入退院をしていたとき、電話で長時間にわたって話をした後、「いま電話で聞いた須賀さんの話は、書きとめておかなければいけないものだとなぜか強く思って、受話器をおいたあと、すぐにメモとして書き残しておいた」。こうして、鈴木氏の資料と記憶によって、須賀さんが初めての長篇小説の構想を得て、取材旅行に行き、創作ノートを何回かに分けて書いたうえ、長篇小説の冒頭の草稿にいたる──その道筋をさまざまな角度から辿りなおしてみることにしたのです。

 今回の特集には、長篇を構想した頃に書かれた重要なエッセイ「古いハスのタネ」も、「アルザスの曲りくねった道」の草稿も、長篇用の創作ノートも、すべて掲載しています。鈴木氏の話と、書き残されたそれぞれの原稿を重ね合わせることによって、未完に終わった「アルザスの曲りくねった道」がどのような小説として書かれていくはずであったのか、その輪郭を見つめてみたいと思います。