Kangaeruhito HTML Mail Magazine 303
 

多田富雄対談集『生命へのまなざし』(青土社)

 前回のメールマガジンで、小林秀雄賞を受賞した多田富雄さんの記者会見についてお伝えしました。脳梗塞によって右半身が麻痺し、言葉を話すことができなくなったものの、パソコンを使えば原稿は書くことができ、「トーキングエイド」(キーボード操作で会話をするポータブルな機器)を使えば「会話」も可能、という状況で、小林秀雄賞受賞の記者会見が行われました。

 これまでにない雰囲気のなかで記者会見は進みました。このやりとりが記録として残ることなく終わるのはあまりにもったいない。記者会見をそのまま「考える人」の誌面に掲載できないだろうかと考えて、多田富雄さん、新聞社の記者の方、発表会見を行った橋本治さんのご諒解を得ました。次号の「考える人」(08年秋号10月4日発売)に、その一部始終を掲載します。これまで六年続いて行われてきた小林秀雄賞の誌上での発表と、少し趣の異なるものになりそうです。

 録音した記者とのやりとりを原稿化しながら読み直してみると、記者の質問に対しての多田さんの当意即妙の答えにあらためて驚かされます。突然の受賞の知らせと、会話の不自由という条件のなかで、記者の質問に、会場に笑いをもたらすようなユーモアある答えを打ち返す。そして「してやったり」と言わんばかりの笑顔になったときの、なんともいえない表情。多田さんという方について、一層の興味がかきたてられました。

 私が多田富雄さんの存在をはじめて知ったのは、1991年、本書の冒頭に収録されている立花隆さんとの対談のときでした。年2回刊行の雑誌「マザー・ネイチャーズ」で連載されていた、立花隆さんの対談シリーズ「マザーネイチャーズ・トーク」のゲストとして、免疫学者の多田富雄さんをお招きしたのです。「自己」と「非自己」というキーワードで免疫のシステムについて語られた内容は、養老孟司さんが「唯脳論」で展開されていた議論のまさに反対側から、すなわち身体そのもののシステムに入り込むことで、生命という現象にアプローチしようとするものでした。本書に収録されている、1990年に樺山紘一さん、養老孟司さんを交えて行われた鼎談のなかに、こんな一節があります。

多田 私は脳死移植に絶対反対というわけじゃありませんけれども、脳死はそう簡単に受け入れられないと思いますね。私は唯脳論じゃありませんから、心臓が止まれば、すべて終わりですが、心臓が動いていれば、免疫系などは「自己」と「非自己」の区別ができるんです。最近では、実験的にウズラの脳をもつニワトリをつくることができます。そうしますと、ちゃんと脳は働いているんですけれども、ニワトリはウズラの脳を拒絶するわけです。免疫系は脳が自分と違うと拒絶するわけです。脳は免疫系を拒絶できませんね。ですから、身体の主体性から考えてどちらがどちらといえば、ぼくは、脳が主体じゃないと思います。身体的な生命を考えれば。
養老 私も、唯脳論といったのは、むしろ現代をある意味で風刺していったんです。あまりにも唯脳的になっちゃってる、と。身体に還元するということは、まったくおっしゃる通りだと思いますね。

 河合隼雄さんとの対談(1994年)では、多田富雄さんのおそるべき名言がとびだします。河合隼雄さんの名著『とりかへばや、男と女』を生物学の観点から読むと非常に面白いと多田さんが指摘しながら話題が展開する部分です。多田さんの発言──。

多田 どうして自分は男なのかと考え始めますと生物学的には非常にわかりにくいことなんです。(中略)遺伝的に男と女が決まっているといいますけど、そんなことはないんです。それじゃあどうして決まるかといいますと、どうも、もともと人間は女であって、なんとかして男という役割分担を作るという目的だけでY染色体というのが働くんです。(中略)私は女性というのは存在だと思いますけども、どうも男というのは現象にすぎないんじゃないかとこのごろ思い始めてきたんです。

 多田さんの「女は存在、男は現象」論は、当時私たち編集者のあいだで(ただし男)、ずいぶんと話題になりました。生物学的には男が女からつくられるのはもはや常識となりつつありますが、それを「存在」と「現象」という言葉に置き換えた多田さんの言葉のセンスには感服せざるを得ません。

 本書に収録されている立花隆さんとの対談は、さきほども書いたように1991年に行われました。免疫とは何かを噛み砕いて説明する入門篇として、この対談は必読だと思いますが(南伸坊さんと多田さんの共著『免疫学個人授業』はさらにわかりやすく、おすすめです)、そのなかに、多田さんがいかにして免疫学者となったのかについての、読み落とせないくだりが出てきます。多田さんの恩師である石坂公成氏(IgEの発見などにより免疫学を大きく前進させた世界的な免疫学者)のアメリカの研究所で、若き多田さんが「修業」していた頃の話。

多田 デンバーというのは標高千六百メートルで、とても空気のいいところですから、肺結核とか喘息の療養所があるんですね。特に子どもの喘息のとてもいい病院がありまして、それに付属した小さな研究所があったんです。石坂先生はその研究所で一からやり直すというような形で研究しておられたんですね。なぜ私にお声がかかったかというと、実験が遅いからなんですよ。あんまり実験の早い人は好きじゃないんだっておっしゃるんです(笑)。

「実験が遅い」多田富雄さんが選ばれた、というところが実におもしろい。本書には石坂公成氏との対談も収録されています。石坂氏は基礎研究の重要さを対談のなかでも繰り返し強調されていて(アメリカにおける基礎研究への尊重の度合いと、日本の現状についての石坂氏の話は傾聴に値するものです)、師弟対談は単なる思い出話にとどまらない、アクチュアルな内容になっています。

 新しい何かを発見する。そのためには拙速ではない、粘り強い手つきが必要である。石坂氏の研究の姿勢にふさわしいと認められた若き日の多田富雄さんと、病に倒れ、気の遠くなるようなリハビリテーションに耐え、左手を使ったゆっくりとした執筆を始めて、『寡黙なる巨人』を書き上げられた多田富雄さんとは、ほとんどぴたりと重なるのではないか。本書を読み返して、そのことを強く感じました。

『寡黙なる巨人』のなかで自らの身体のありようを「鈍重な巨人」とも表現される多田さんの、受賞後はじめてのエッセイは、次号「考える人」に掲載されます。どうぞご期待ください。
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