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渡辺靖 『アメリカン・コミュニティ―国家と個人が交差する場所―』(新潮社)
会田弘継 『追跡・アメリカの思想家たち』(新潮選書)

 1989年の真冬に、アメリカ大陸を東から西まで旅しつつ、10人の作家をインタビュー取材しました。ニューヨーク、ボクスフォード、ケンブリッジ、コネティカット、マディソン、ミネアポリス、シアトル、サンフランシスコ──それぞれの町に滞在した時間は長くても2泊という駆け足の取材でしたが、20年近く経った今もなお、それぞれの町の雰囲気、作家の家にいたるまでの道沿いの風景、取材後に散歩した町の人々の表情までありありと甦ります。

 アメリカ東部のコネティカットでは、18世紀に建てられた平屋の家の、真ん中に古い暖炉がある頭が天井につきそうなリビングで、C・D・B・ブライアン氏(村上春樹訳『偉大なるデスリフ』の作者)に会いました。コネティカットという土地の持つ、どこか禁欲的で、清潔で、知的なものを良しとする雰囲気は、典型的なWASPであるブライアン氏の穏やかな人柄と一体となって印象に残りました。

 アメリカの西海岸、シアトル郊外の人里離れた森のなかの大きな家に住んでいたのは、『ウィンターズ・テイル』のマーク・ヘルプリン氏です。ドイツのハールブラン(一族のヘルプリンという名前はこの土地に由来するそうです)に住んでいたユダヤ系の祖先が、中世のころユダヤ人排斥にあい、まずはデンマークへ移り住み、さらにロシアへと移動したものの、またもや弾圧を逃れて命からがらアメリカへとたどり着いたという、ヘルプリン家一族の歴史を聞きました。

 記事には書きませんでしたが、インタビューの後、紅茶とクッキーをいただきながらの雑談のなかで、共和党の熱心な支持者であるヘルプリン氏が、どうやらロナルド・レーガン大統領のスピーチライターのひとりでもあるらしい、ということがわかりました。ヘルプリン氏はさらに、国際平和維持のための軍事力をなぜ日本は出し渋るのか、と私に質問しました。イスラエル軍に従軍したこともある彼の、国家や軍事力に対する確固たる考えにはただただ気圧されるしかなく、口を濁して話題を変えたことを覚えています。

 ヘルプリン家の森のなかの大きな家は、二重三重のセキュリティーシステムで守られていました(彼は自ら外部からの侵入者を演じて、どこから近づこうとしても警報が鳴り響き、侵入者をライトで照らし出すシステムを、帰り際に見せてくれました)。インタビューへの協力とお茶のお礼を述べて、ヘルプリン家の大きな玄関を出てしばらく歩いた後、ふとふり返ってみたとき、娘ふたりと夫妻の四人家族が住む家が、要塞のような威圧感をたたえて、暗い森のなかにたたずんでいたのを覚えています。

 小説を読んだだけではわからない。小説家という人たちはなんと面白い存在だろう。取材を終えて思ったのは、ひたすらそのことでした。小説を書くにいたるまでの、それぞれの人たちの人生のなんと面白いことか。人に会って話を聞く、ということの意味を、私はこの取材旅行で学んだ気がします。

 アメリカ大統領選が近づいてきました。民主党か共和党かという二者択一は、ただでさえアメリカについて単純化した物言いをして憚らない私たちを、さらに乱暴な二元論的な判断に向かわせる可能性がある。だからこそ私たちはあまりにアメリカを知らなさすぎる──そう思ったほうがいいのではないか。今回ご紹介する二冊は、おそらく日本のメディアが流布させているアメリカのイメージを大きく変えるものでしょう。アメリカを考えるとき、アメリカを単純化すれば単純化するほど、アメリカに底流するものを見失い、その実態からも遠ざかってしまう、ということを教えてくれる貴重な二冊だと思います。

「考える人」の連載中から大きな反響のあった、渡辺靖氏の『アメリカン・コミュニティ―国家と個人が交差する場所―』は、保守かリベラルかというレッテル貼りだけではとうてい説明のつかない、アメリカ各地のコミュニティーの多様性に満ちた現状をつぶさに見て歩いた労作です。このような驚くべき共同体を擁するアメリカを、誰がどのように束ねるのか。民主党か共和党か、という見方だけではこぼれてしまうもの、ある意味で、民主党であろうが共和党であろうが脈々と生き続けるものがある。そのようなことを気づかせてくれる本だと思います。

 また、Foresight誌での連載を中心にしてまとめられた会田弘継氏の『追跡・アメリカの思想家たち』も、「ネオコン」「リバタリアン」「南部農本主義」「キリスト教原理主義」と分類したら最後、それ以上踏み込んで考えることはせずに済ませてしまう思想的潮流を、とりあえずいったん括弧を外して、その思想的潮流を支える人々がどのような人たちであり、誰に影響を受け、誰に影響を与えたのか──いわば「生きものとしての思想」を、やはり自分の目で見て歩き、当事者に直接会って話を聞き、描き出した労作です。

 この二冊の本に共通しているのは、著者の驚くべきフットワークであり、また、自分の目で見、頭で考えることをつねに自らに課している姿勢です。アメリカの共同体についても、思想的潮流についても、おそらくネットを駆使すれば、最新の動向も含めた上で、概要を眺め渡すことは充分に可能でしょう。しかし、現地に足を運んで、当事者に会い、話をすることがなければありえなかった予想外の展開というものもある。この二冊には、そのような人との出会いがあり、目の前で呼吸をしている「生きものとしての思想」の発見があるのです。アメリカのイメージが、私のなかでさらに複雑な色合いを帯びることになった二冊を、大統領選直前のこの時期にぜひおすすめしたいと思います。
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