Kangaeruhito HTML Mail Magazine 308
 目と耳と

 いつもお世話になっている眼鏡店で、老眼鏡を注文しました。大学生になるまで視力はかなりいいほうだったのですが、大学になったばかりの春に街を歩いていたら、世の中が急にぼやけて見えるようになり、眼の病気にでもなったのかと思いドキドキしながら眼科に行ったところ、あっさり「近視ですね」と言われました。以来、眼鏡をかける人生を歩んできたというわけです。大学生になってから近視になるとは想像していなかったので、なんだか妙な、間の抜けたタイミングでの眼鏡人生の始まりでした。

 コンタクトレンズはしたことがありません。理由は簡単です。なんとなくこわいから。強風のなかコンタクトをしている人が突然立ち止まり、絶句して眼に手をやり、息をつめ涙を流し始めるのを見たり(眼とコンタクトのあいだにゴミが入るとかなり痛いらしい)、「コンタクトがもしずれて、眼球の裏側にまわったりしたらどうなるんだろう?」なんてことを想像し始めると、やっぱり自分には眼鏡のほうがいいな、と思っていました。

 昔、山田太一さん脚本のテレビドラマ「沿線地図」(1979年)を見ていたら、真行寺君枝さん(まだ10代だった! 私も!)演じる女性が、広岡瞬さん演じる眼鏡をかけた恋人にむかって、「あなたはコンタクトレンズするのがこわいんでしょう? あなたはそういう人なのよ。臆病なのよ!」と、叩きつけるように言いつのる場面がありました(セリフは例によって記憶で書いているので、正確ではありません)。一瞬、息をのみました。そして、自分の臆病をなじられたみたいな気がし、意気消沈したのを覚えています。

 しかしコンタクトレンズひとつで(ふたつか?)、あのようなセリフを書ける山田太一さんという脚本家はすごい、と思ったものです。そういえば、「沿線地図」の主題歌はフランソワーズ・アルディーの名曲「もう森へなんか行かない」でした。選曲も山田太一さんなのかな、と当時思ったのですが、今度お目にかかることがあったら、選曲についてはぜひうかがってみたいものです。放映にあわせて「もう森へなんか行かない」のシングル盤が発売されると、すぐにレコード店にとんで行って手に入れて、しばらく愛聴していました。……なんか暗い学生時代だったな。

 もうひとつ、老化現象かなと思っていることがあります。もともと耳が遠いたちなのですが、いっそう耳が遠くなった気がするのです。ちょっと騒々しい喫茶店で打ち合わせをしていると、両耳のうしろに両手をつけて相手の話を聞きたくなるほど、聞き取れない。もちろん耳のうしろに両手をあてて聞くなんて失礼ですし、相手も馬鹿にされたように思って怒ってしまうかもしれませんから、そんなことはできません。あまりにも聞き取りにくいときには、ちょっと顎に手をあてて考えごとをするときのようなポーズにして、右手の指先で少しだけ耳を前に倒して、集音力をあげる場合があります(それだけでもけっこう聞こえ方が違います)。これも少しヘンでしょうか。

 耳のかたちというのは千差万別です。側頭部に対して耳が直角に付いている人(正面から見たとき、耳がはっきり見える。例:松下幸之助)と、私のように頭にピタッとねているように付いている人(正面から見たとき、耳が少ししか見えない。例:棟方志功)と、さまざまなかたちがあるのがわかります。前者と後者では、聴き取ることのできる音量がかなり違うはずです。どうしてこれほど形状の違いがあるのでしょうか。縄文系、弥生系と関係があるのかな? 

 図形的に考えると、私や棟方志功のような耳の持ち主は音を聴く範囲が360度となり、松下幸之助タイプは180度になります。すなわち後方から敵が近づいてきたときは棟方タイプが早く気がつきそうです。しかし無我夢中で版木を彫っていたら気がつかないで襲われてしまうでしょう。うーん、無駄だ。サバンナで生きている野生動物ならいざ知らず、日本で生きてゆくのなら、棟方タイプにあまり利点はなさそうです。

 姿勢に無意識でいると、私は座っていても歩いていても猫背になりがちです。日々刻々と頭髪にも不安が増大し、記憶力もかなり怪しくなってきました。固有名詞も出てこない(実はこの直前に「棟方志功」の名前が出てこなくなり、グーグル検索に「わだばゴッホになる」と打ち込んで判明しました)。2008年12月で50歳に突入しようとし、老化前線にさらされている私は、とりあえずいまは「もう森へなんか行かない」でも聞きながら、おとなしく老眼鏡の完成を待つことにします。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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