1998年3月26日、四谷の聖イグナチオ教会でおこなわれた須賀敦子さんの葬儀で弔辞を読まれたのは池澤夏樹さんでした。池澤さんはさらに、2000年に刊行が始まった須賀敦子全集(河出書房新社)の編集委員を、丸谷才一氏、松山巖氏とともにつとめられています。

 須賀さんと池澤さんにはいくつかの共通点があるように思います。日本のみならず、西欧の文学と哲学を広く深く吸収し、ご自分を形づくった人であること。若いときに日本を出て、ヨーロッパ各地で暮らし、あるいは旅をし、そこに生きる人々の生きる姿勢と、生の西欧哲学を目のあたりにしながら、そのなかで自身を鍛え上げていった人であること。そして何より、ものを書く人としての出発が小説家ではなかったこと。

 今回の特集では、詩人、翻訳家として出発したのち、やがて小説家となった池澤さんに、小説への道なかばで亡くなった須賀さんが書こうとした小説とはどんなものだったのか、それをめぐっての原稿をお願いしました。つつしみぶかい池澤さんは、主のいない部屋に入っていくような居心地悪さを感じつつお書きくださったのではないかと想像しますが、いただいた「アルザスに着くまでの道」は、須賀さんが小説を書こうと踏み出していったそのぎりぎりの場所まで導いてくれるようなすばらしいものでした。少しだけご紹介しましょう。

 だから、エッセーを書いていた者が小説の分野に出てゆくのはむずかしい。恐いもの知らずでいきなり小説を書き始める者の場合はそれはそれでいいけれど、エッセーの修業から文筆の道に入った者はなかなかフィクションに進めない。自分に嘘をついてもいいと許すのは実はそう簡単ではない。どこかで嘘の世界に入るための踏み切りが必要なのだ。……
 須賀敦子は小説を書こうと志して、それを果たせないまま逝った。エッセーを書き始めた時のように万端の準備を整えてから筆を執ろうと思っていたのだろう。準備は整って、ノートが作られ、本文の最初の部分も始まったが、目の前に病気が立ちはだかって、その先へ進む時間はもうなかった。

 未完に終わった長篇『アルザスの曲りくねった道』はどのような小説で、いかにして構想されたか、その的確で丁寧な読みかたと、そのあとにつづく創作メモの丹念な解読には、小説家ならではの視点と、小説を書こうとしてついにかなわなかった、けれども姿勢は小説家そのものだった須賀さんへの、池澤さんの深い友情と敬意が感じられます。

 池澤さんはこの原稿の結びで、須賀さんのエッセイにたびたびあらわれる「靴」のモチーフとその生涯を結びつけ、須賀さんの信仰のかたちについても語っています。須賀さんの信仰をこれほど大きく、しかも核心をついて言いあらわしたものがこれまであったろうかと思いました。ぜひお読みいただけますよう。