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「新潮」2008年12月号

 あらたに発見された小林秀雄の講演録音が、CDにおさめられ、最新号の「新潮」に特別付録としてついています(発売は明日、7日です)。見本誌を手に入れて、さっそくCDを聴いてみました。全6トラック(約73分)で、そのうちの5つのトラックは『小林秀雄講演』(全7巻)として発売されているCDからの抜粋。残りの1トラックが未発表音源を使った「勾玉について」(約27分)。

「勾玉について」は、昭和42年1月7日に東京・新宿の紀伊國屋ホールでおこなわれた新潮文化講演会で収録されたものです。昭和42年1月と言えば、「新潮」で10年以上におよぶことになる連載「本居宣長」が始まってまだ間もない頃で、まだまだ先は長い、というあたりだったのではないでしょうか。

 昭和42年、1967年の新年早々というのは、大学紛争がいよいよ本格化する直前の頃でした。前年には中国文化大革命が起こり(小林秀雄の「勾玉について」の講演があった翌月には、川端康成、石川淳、安部公房、三島由紀夫が連名で、中国文化大革命に対して抗議の声明文を発表しています)、ビートルズが来日し、ベトナム戦争も「北爆」が激化、南ベトナムでは抗議の焼身自殺が続いていました。

 そのような「激動する時代」であっても、小学生だった私には、それらの「激動」はテレビの向こう側の出来事にすぎませんでした。自分の感覚としてリアルに覚えているのは、父親と兄と三人で見に行った映画「ミクロの決死圏」のことぐらいでしょうか。戦争中にも沈黙を続けていた小林秀雄は、当然のことながら中国文化大革命への抗議の声明に加わることもなく、おそらくざわざわとした空気が漂う新宿の、ホールの暗がりのなかで、手のひらにおさまる小さな勾玉について、話をしています。

 美を経験するというのはどういうことか。混雑するミロのヴィーナスの展覧会に行っても、それは「ミロのヴィーナス」という名前、知識に触れているのにすぎない。勾玉のひとつでも買ってみて、自分の手で握って、毎日眺めていなければ、美を経験することはできないのだ、と小林秀雄は言います。美は知識ではない。美は時間をかけて親しまなければならないものだ、と。講演の終わり近く、小林秀雄は「原稿を書くときに、いつも勾玉をおいている」と言っている部分がありますが、つまりこれは「本居宣長」を書きながら、勾玉をそばに置き、ときどき手で触れていた、ということなのだと思います。

 たましいや生命というものは、何かの目的があって、その的に向かって命中させようとする意志だけでは届かない「なにものか」を持っている。人間が、自然のなかで気の遠くなるような長い時間を生き、積み上げてきたものが理性というものであって、われわれはついその理性の眼で、世界を解釈できると思いこみがちだが、その理性を生んだものは、そもそもは自然というものなのだと、小林秀雄は伝えます。勾玉という具体物をとりあげながら、30分に満たない時間のなかで、理性や学問に対して懐疑的である小林秀雄の姿が強い印象とともに立ち上がってきます。小林秀雄はしきりに「わからない」「何もわかっちゃいない」「わからないね」と繰り返します。この「わからない」は、ほとんど小林秀雄の「確信」と表裏一体になっているかのようです。

 講演のなかで、もうひとつ気になった言葉があります。それは小林秀雄が言う「こしらえる」。私の耳は、ここでぴくりと反応しました。いまは、ほとんど聞かれることのなくなった「こしらえる」という言葉。「こしらえる」には「つくる」よりもいっそう、人間の手で時間をかけてものが生みだされてゆく様子がなまなましく伝わってくるような感覚がありました。小林秀雄の独特の語り口ということはあるにしても、そこにはやはり、40年前の、今は消えかかっているかもしれない日本の話し言葉の姿が、記録されてもいるのだと感じたのです。
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