Kangaeruhito HTML Mail Magazine 312
 栗を燃やす

 とげとげのいっぱい生えた栗の「いが」は、おそろしいほど攻撃的(防衛的?)な姿をしています。植物のなかではバラの刺もかなり痛いですが、「いが」のとげもかなりのもの。木の実の見た目の怖さとしてはやはり断トツで、触ってもじゅうぶんに痛い。

 晩夏に栗の木を見上げると、あおあおとした緑色のとげをまとった栗の実がたわわに実っているのが見え、これからまもなく秋がやってくる、とうれしい気持ちになるものの、同時にもしこれがつぎつぎに自分の頭に降りかかって落ちてきたらと思うと、早々に樹下から退散するしかありません。

 おいしいものには虫がつきます。それはそうだろう、という話ですが、栗にあんなに虫がつくとは最近まで知りませんでした。じゃあどれぐらい虫がつくかと言えば、虫を駆除する農薬をきちんと撒かなければ、ほぼ確実に、ひとつひとつの実に虫はつくようです。

 たとえば、農薬を撒かれたことのない栗の大木があったとして、秋になり、たくさんの栗の実が茶色くなったいがに包まれて樹下にぼたぼたと落ちていたら、それをひろってみればわかります。栗の実のつやつやと茶色い表面をよく見ると、どこかにかならず黒い小さなポチっとした穴があいています。穴があいているとなれば、その栗はすでに卵を産みつけられたあとで、栄養たっぷりの実をたべて大きくなる小さな虫が住んでいます。

 栗の木もただ手をこまねいて、やられっぱなし、食べられっぱなしで何万年(?)というわけにはいかなかったはずです(絶滅してしまいます)。栗の「いが」があんなに獰猛なまでにとげとげしているのは、栗の実を食べられないための防衛戦略として、あのように進化したのではないか。そう思ったりもします。

 おそらくは縄文時代よりもさらに昔、「元祖栗の木」とでもいうべき木があって、その木に成っていた実には、あんな獰猛ないがいがはついていなかった、と想像してみたらどうでしょう。虫との闘いが何万年と続く過程で、あのようないがいがを身に纏うようになった栗の新手のグループだけが、今こうして生き残っているのです(ほんとうかな……)。

 ところが虫も負けてはいません。栗の実につく代表的な虫は、クリシギゾウムシ。漢字で書くと、栗鴫象虫。鴫(シギ)というクチバシの長い水鳥の名前が、虫の名前に一部採用されているように、クリシギゾウムシの大きな特徴は、口吻(こうふん)がとても細くて長い、ということなのです。クリシギゾウムシの長い長い口吻が、巧妙に栗の実に差し込まれてゆき、表面に小さな穴があけられて、その穴から卵が産み落とされてゆくのだそうです。栗がとげとげを進化させれば、クリシギゾウムシも口吻をどんどん伸ばしてゆく(というか、口吻の長いものが生き残ってゆく)。そして今、栗は反撃の策を練ってはいるものの、まだ新しいアイディアは育っていない(ほんとうかな……)。

 卵からかえった幼虫は、栗の実をもくもくと食べて、今度は土にもぐってサナギになり、越冬し、翌年には羽化して栗の木につく、というサイクルを繰り返しているようです(幼虫のまま越冬するものがあったり、越冬を三回繰り返すものもあるらしく、どうしてそのような生態なのか、もう少し調べてみないとわからないのですが)。

 だからクリシギゾウムシを駆除しなければ、どうしても栗はやられてしまう。それでは農薬を撒くしか方法はないのでしょうか。そんなことを考えていたときに、たまたま足を運んだ石川県の白山山麓にある「白山僻村学校」で、作家の塩野米松さんにお目にかかる機会がありました。

 塩野さんは私にとっては絵本の名著『父さんの小さかったとき』(塩野米松・文 松岡達英・絵 福音館書店)の著者としての塩野さんなのですが、この絵本は、昭和22年に秋田県角館に生まれた塩野さんが、昭和19年に新潟県長岡に生まれた松岡さんと一緒に、それぞれの子ども時代の、自然がたっぷりとあるなかでどんな遊びをしていたか、を思い出し、絵本としてまとめたもの。ご覧になったことがない方がいらっしゃったら、ぜひおすすめしたい絵本です。

『父さんの小さかったとき』には子どもの頃の「山グリとり」の様子もちゃんと描かれています。山グリなんだから、きっと農薬なんて撒かれていなかったでしょう。ということは虫がたかっていないはずはない──というわけで、塩野さんにお声をおかけして、聞いてみたのです。

「塩野さん、栗ってすごい虫がつきますよね?」
「つきますね」
「農薬を撒かないで、虫から守る方法ってありますか?」
「ええとですね、必ず成功するとは限らないんですけど、やってみる価値のある方法はひとつあります」
「え? それはどういう方法ですか?」
「落ちている栗の実がありますね」
「はい、いっぱい落ちてます」
「拾ってみて、虫がついているのがわかったら、どうします?」
「そのまま拾いません」
「そうすると、栗の実についた虫はそのままでしょ」
「……」
「これ幸いと、虫は栗の実を食べ続ける」
「たしかに」
「燃やすんです。木の下に落ちている、虫にくわれた栗を一つ残らず集めて燃やす」
「燃やす……」
「そうすれば、虫は死にます。成虫にならないでしょう? それを辛抱強く何年か続ける。そうすると、虫の数がどんどん減っていきますから、やがてそれほどは虫がつかなくなる……可能性があります」

 塩野さんはそう言って、にっこりと笑いました。
 いやあ、ちょっとびっくりしました。聞けば「なるほどそうか」と思います。しかし、ぼんやりと栗を見ていても、とても思いつかない方法でした。そして虫を駆除する方法として、なんだかきれいな感じがします。秋の夕暮れどき、大きな栗の木の下で、小さな焚き火をして、煙がたなびいてゆく光景……これもなんだか悪くありません。そして、必ず成功するかどうか、一年や二年では答えがでないところがまたすばらしい。

 ところで「栗を燃やす」駆除法は、塩野さんが子どもだった頃に、田舎ではふつうに行われていた方法なのでしょうか。塩野さんとお別れしたあとで、そのことをお聞きするのを忘れていました。今度またお目にかかることがあったら、ぜひ聞いてみることにしましょう。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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