Kangaeruhito HTML Mail Magazine 318
 ミツバチうなる

 先週、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラの来日コンサートに行ってきました。彼らのドキュメンタリー・フィルムを見たり、CDを手に入れて聴いたり、その演奏ぶりにはふれていたのですが、やはりライブはすごい。圧倒されたというほかはありませんでした。

 このオーケストラをご存じのない方に簡単に説明すると、1)ベネズエラの貧困層の子供たちの非行を未然に防ぐため、音楽教育を推し進める組織「全国青少年交響楽団システム財団」が1975年に創設され、たった11人から活動は始まった。2)現在では約30万人が所属する巨大組織になった。ユース・オーケストラの数は全国に200ぐらいある。3)シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラは、そのオーケストラ群から選び抜かれた14歳から25歳までのベストメンバーで構成されている。4)指揮者、グスターボ・ドゥダメルは現在27歳、この数年の世界的評価はうなぎのぼりで、オーケストラともども世界中からひっぱりだこ、2009年からはロサンゼルス交響楽団の音楽監督に就任することになった。

 二年ほど前から、グスターボ・ドゥダメルのインタビューを実現できないかと動いていました。07年夏号のクラシック特集のときは、北欧での演奏会にも追っかけていく覚悟で、交渉をしたのですが、メディアの取材が殺到していたらしく駄目でした。では08年の来日公演でと待ちかまえていたのですが、残念ながら記者会見以外のインタビューは一社にかぎるという約束だったらしく、「考える人」のインタビューはまたも見送りになってしまいました。でもまだ諦めたわけではないので、いつかかならず、と思っています。

 さて、演奏会です。私が行ったのは2日目の東京国際フォーラムのコンサート。ホールは漠然と広い空間で、クラシックコンサート向きではないのではと思いましたが、東京ではたったの2日間だけでしたから、予算と収容人数のかねあいでこうなったのかなということと、彼らのコンサートとなればまあ半分は初来日のお祭り気分で聴きに来る人も多いだろうからこれもアリかもしれない、と勝手に納得。小澤征爾さんも真っ赤なフリースを着て来場し、なんだかものすごく目立っていました。いやがうえにもお祭り気分が盛り上がります。

 一曲目はベートーヴェンのピアノ、ヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲で、ピアノはマルタ・アルゲリッチ。彼女はアルゼンチン出身ですから、短絡すれば南米同士のつながりで、そのコンビネーションにはかなり期待をもたせます。私はこの曲じたいも好きで(ベートーヴェンのなかではどこか能天気なところがある曲で、頭のなかの掃除をしたいときに私はよくかけます)、とても楽しみにしていました。

 ところが結論から言うと、この演奏は私にはまったく駄目でした。オーケストラとピアノ、ヴァイオリン、チェロが全部ばらばらで、まったく息が合っていない。とくにソリストの三人がそれぞれの波長で自分のやりたいようにやっているので、音楽がのっていかないのです。うーん、なんでこの顔ぶれで、この曲をやることにしたのかな、と頭のなかにはクエスチョンマークの洪水。不発でした。

 休憩をはさんだ次は、マーラーの交響曲第一番「巨人」です。ステージからこぼれ落ちそうなほどの大編成となったシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラの演奏は、始まったとたんに耳から全身に音がしみわたっていくような感触がひろがります。なんと言えばいいのか、磨き上げられた演奏というのでは決してないのに、緊密なのです。音の一体感がすごい。ホルンが音を外しても、その疵がしゅるしゅると吸い込まれ、音の表面はまたつるつるとなって、なんの違和感も残さない。大編成のオーケストラのすみずみまで神経がゆきわたっているような肉体的な厚みがたっぷりとある。オーガニックというのは、こういうことなのかと感じるような演奏です。

 だから曲の流れのなかでテンションがあがるところは、頭だけではなくて、からだ全体まで揺さぶられるような迫力があるのです。ふだん目にするオーケストラは、たとえば第一ヴァイオリンから後ろに向かってヴァイオリン奏者が並び、そのヒエラルキーは演奏への没入度とも正比例しているところがあって、後ろに行けば行くほど、温度が下がってゆくのはまぬがれない。ところがシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラの場合は、前から後ろのすみずみまでそのテンションが等しく高いのです。

 この感じ、どこかで見たことがあるなと思ったら、それはミツバチの巣でした。真夏に訪れた信州にある大きなお屋敷の、地下室のしめられたままの雨戸と網戸のあいだに、巨大なピザ生地のような平らな巣がつくられているのを見せてもらったことがあります。地下室のガラス窓を開けても、こちら側に網戸が一枚あるので、ミツバチはやってきません。ミツバチは閉まったままの雨戸の戸袋の端から入り込んできて、ここの大きな巣をつくったらしい。

 私はしばらくハチの大群が巣の表面を蠢いているのをおとなしく見ていたのですが、しばらくしてからちょっと悪戯心でその大群の表面にむかって、フッと息を吹きかけてみました。すると「ブ、ワアン、ブ、ワアン」と大きな波のような音を立てながら、ミツバチの大群がいっせいに羽音を強くして私の吹きかける息に反応したのです。津波のような音。もしも一枚の網戸がなかったら、この音を立てながら私にかたまりで襲いかかってくるのにちがいない、ちょっとゾッとするような羽音です。

 シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラの演奏は、このミツバチのうなりにとてもよく似ていました。ひとりひとりの演奏を結びつける、有機的な何かがある、だから音がばらばらにならないのです。人工的ではなく生理的な、といってもいい、緊密な一体感。だから既成のプロフェッショナルな交響楽団とは、はっきりと肌合いも手触りもことなる音が鳴りひびくのではないか。

 値の張る高級な楽器などほとんど使われていないに違いないオーケストラのおそるべき迫力は、プロフェッショナルな交響楽団を頂点とする音楽の世界において、ある種の奇蹟のようなものなのでしょう。アンコールで演奏されたバーンスタインの「マンボ」のお祭りの要素は、どちらかと言えばあってもなくてもいい。このアンコールのスタイルは、「おきまり」の愛嬌のようなもの。このアンコールがいちばんたのしみ、とならないような今後の活動を期待したいところです。

 これで、指揮者グスターボ・ドゥダメルへの関心がますますたかまりました。貪欲なプロフェッショナルの世界へとぐんぐん踏み込んでゆく彼がこれからどうなっていくのか。そのときシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラはどうなるのか。やはりいつかどこかで、彼からじっくりと話を聞き出したいものです。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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