堀江敏幸さんがフランス文学を学んでいた学生時代、学部の卒論で取り組んだのがマルグリット・ユルスナールでした。ユルスナールは、1903年、ベルギーの旧家に生まれ、学校には通わず、教養人であった父親によって古典文学の読み方をはじめとする教育を施されました。やがて『ハドリアヌス帝の回想』や『黒の過程』など20世紀フランス文学を代表する作品をうみだし、80年には、アカデミー・フランセーズの会員となっています。1635年の設立以来、700人を超す会員を有してきた同会の、初めての女性会員でした。

 須賀敦子さんの『ヴェネツィアの宿』を読んだとき、堀江さんが感じたのは、「この感触、この呼吸には、もう出会ったことがある」ということでした。

 どこかで、といった程度の話ではない。特定の作家の、特定の作品――、マルグリット・ユルスナールの未完に終わった三部作、『世界の迷路』の話法ではないか。

 デビュー作『ミラノ 霧の風景』に比べ、『ヴェネツィアの宿』では、須賀さんにとっての父親の存在がどれほど大きなものであったか、反発と愛情のあいだで揺れ動く思いが、あふれるように描かれています。ユルスナールにとっての父もまた以下のようなあまりに大きな存在でした。

 ユルスナールにとって、ミシェルは父であり、亡き母の夫であり、母以外の女性も愛した放蕩好きな男であり、教育者であり、兄であり、最初に乗り越えるべき文学上のライバルであり、理解不能な闇を抱えた謎の人物でもあった。

 須賀敦子とユルスナール、父への反抗と追慕のあいだをゆれながら、父をまた同志のように描き、曲りくねった道をひたすら歩きつづけた「父の娘」たち。この二人の作家の人生の歩みとともに、堀江さん自身の学部時代の回想をまじえたエッセイが「空飛ぶスコットランド男」です。「父」という視点からみた須賀敦子さんの娘としての顔、作家としての顔には新しい魅力があります。父は娘にどのような痕跡を残したのか――。どうぞご一読ください。