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辻征夫『かぜのひきかた』(書肆山田)

 もう遙か昔のことになりますが、私が「小説新潮」編集部にいたとき、「大コラム」という臨時増刊を編集したことがあります。1984年のことでした。翌年に、「大コラムvol.2 個人的意見」という続篇を出すことになり、吉本隆明さんと蓮實重彦さんにペアでご登場いただく「標準語で喧嘩に勝つ方法」というページをつくりました。

 そのページのご相談に吉本隆明さんのお宅にうかがったときのことは、今でも鮮明に覚えています。みずから淹れてくださった紅茶とケーキ(エクレアでした)の味も、吉本さんの部屋の書棚のたたずまいも、こう書き出しているだけで、なんだか二、三カ月ぐらい前のことに過ぎないかのように思い出されます。その日、吉本さんにうかがった忘れられない言葉に、こういうものがありました。

「いまの文学で、きちんと読んでいって、何がいちばんいいかって考えたら、やっぱり詩がいちばん面白いんじゃないかってことが、言えると思いますよ」

 私は高校時代から大学を卒業するあたりまで、現代詩をよく読んでいた時期がありました。ところが会社に入ってからしばらくすると、気がつけば詩の世界からずいぶん遠く離れていたのです(会社に入ったことがその直接の原因だったのかどうかはわかりませんけれど、時期的にはたぶんそうでした)。──ですから、吉本さんの言葉に、ふいをつかれたような思いがしました。

 吉本さんにお目にかかってから、また現代詩をばりばりと読み始めたかというと、実はそうでもなかったのですが、でもたまに、何かのきっかけがあると詩集を手にすることもあって、この本はそんな一冊でした。奥付を見ると、刊行されたのは1987年。たとえばこんな数行に、ひきつけられたりもしていたのです。

 ヘレンおばさんこんにちは    辻征夫

 会社の写真を娘に見せて
 これが会社だよといいましたら
 ふーん これがカイシャなの
 それじゃここでまいにち
 レンシュウしているのね
 といいました
 練習? なんの練習?
 なんだかどぎまぎして
 ききかえしますと
 カイシャのレンシュウに
 きまっているじゃないの
 ちがうの? といいます

 これはまだ、「ヘレンおばさんこんにちは」全体の四分の一ぐらい。全部をお読みになりたい方は、『続・辻征夫詩集』(思潮社)に入っていますので、お読みください。
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