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いしいしんじ『四とそれ以上の国』(文藝春秋)

 2001年の元日、いしいしんじさんのはじめての長篇小説『ぶらんこ乗り』を読んだときの驚きを忘れることができません。どこにも分類できないようなその物語からは、大ぼら吹きの話にも似たとてつもない想像力と同時に、そこにあるものや現象を現実と寸分たがわず見極めようとする科学者のような厳密さが感じられたのです。

『ぶらんこ乗り』以来、いつの時代のどことも知れない物語を書きついできたいしいさんは、2005年の『ポーの話』でおそらくそのいちばん先までたどりついたあと、次の長篇『みずうみ』で、はじめて実在の地名を作中に登場させました。「ナミビア」というその言葉がなにかべつの大きな場所への入り口だったように、『みずうみ』には、あちこちの地名や実在の人物などの固有名詞がなだれをうったように登場しました。それは、いしいさんがまったく新しい場所にいこうとしていることを思わせる、予兆のような小説でした。

 きょうご紹介したいのは、昨年の11月末に出た最新作『四とそれ以上の国』です。まずタイトルがすばらしい。四国の四と国が離ればなれになって、あいだになにかを挟まれたことなどあったでしょうか(あるわけないですね)。このタイトルがむやみに気に入ったわたしは、たった八文字をなんどもあきずに読み返してしまったのですが、題名から予想できるように、これは四国を舞台にした小説集で、「塩」「峠」「道」「渦」「藍」という五つの短篇がおさめられています。

 冒頭におさめられた「塩」には、8年前の『ぶらんこ乗り』に勝るとも劣らないほどびっくりさせられました。どのくらいびっくりしたかというと、「塩」を読んだあと、しばらく本のつづきを読めなかったくらいです。舞台は、香川県の海沿いにある仁尾(にお)という町。生きているもの死んでいるものふくめると十二人きょうだいの末娘のユキが語り手です。この小説のおもしろさは、十二人きょうだいの名前をみただけでも想像していただけるかもしれません。

長女キヌ、次女クワ、三女イノシシ、長男ゴホンケ、四女不明、五女シオマツリ、六女ミヨシ、次男シオマツリ、七女ウキ、八女不明、九女不明、十女ユキ

 町中のあらゆる女と関係があったともうわさされる父が庭の木にぶらさがって死んだあと、四姉妹が高松の親戚の家にひきとられます。四姉妹といっても、六女のミヨシ、七女のウキ、十女のユキ、のこりのひとりは、びんに入ったまま同行する四女で、これは四女の名残なのか何なのか――。物語は、七歳のユキが庭をはしる「筋」を見てから、高松での桁外れに豪快な塩祭の日に地震がおき、あらゆるものが白い塩の下に埋まってしまったのを契機に、ユキがある変貌を遂げ、町を出てゆくまでの五年間が描かれています。

『四とそれ以上の国』には、四国をめぐるさまざまな風物、それも誰もが知る風物やゆかりの人物がもりこまれています。うどん、人形浄瑠璃、小泉八雲、夏目漱石、正岡子規、お遍路さん、鯨、鳴門の渦潮……。「塩」では七女のウキが、引き取られた先の女房の邪心から、人形浄瑠璃のとりこにされてしまいます。なにかにとりつかれて放心するさまの禍々しさ。無残さ。ここで描かれる人形浄瑠璃は、この芸能が誕生したときの生々しさがそっくり伝わってくるような迫力です。

 そして、この小説にはもうひとつ、さいごまで得体の知れない「スティーマー」というものが登場します。以下、ちょっと長いですが、引用をごらんください。語り手の「俺」は末娘のユキです。なぜ「俺」なのかは本をごらんいただくとして――。

 
丸亀にいる長姉のキヌからは、月毎に手紙が届いていたが、俺がスティーマーに手紙を書き、それを黙っていたように、ミヨシが仁尾の兄のほうのシオマツリと何かやりとりをし、黙っていた、ということがなかったろうか。俺はそうであったらと望むが、どちらともいえない。七歳半よりよほど前のことで、いついつと、はっきり覚えていないある春の朝、俺が裏の庭にスティーマーの食事を運んでいったことがある。春というのは表座敷の舞台に人形(注・人形浄瑠璃の)が出ていたからである。キヌも他の姉たちも、よそへ挨拶か何かで、屋敷にいなかったと思われる。スティーマーのところの木机に盆を置き、俺はたぶん少し、雲雀かなにかに気づいたふりでスティーマーの姿を待ったのだと思うが、スティーマーは目の前に来ず、俺は雲雀でなく、菜園の棚の向こうでチラチラと揺れる風船のようなものに気づいた。

 スティーマーというのは何なのか? わからないものをわからないまま書いて、これほどありありとした小説は読んだことがないな、と思いました。あんまりびっくりしていちど中断した『四とそれ以上の国』をもういちど頭から読みはじめたのは先週末のこと。「塩」につづく四篇も、またまたすばらしかった。「峠」の主人公である日系の英語教師が乗車する「特急しまんと」はいったいどこを走っているのか。「道」で描かれる巡礼と鯨とり、くりかえし現われる同じ部屋、同じ女。「渦」でうずまく鳴門海峡とどこまでも明朗な子規の野球。そして最後におかれた「藍」の、藍小屋から逃げ出した年のころ十六、七の藍と彼女を追う四十二歳の藍職人。

 一行一行のたしかさと、かたまりで押し寄せるありありとしたわからなさ。小説を読むことのまったく新しい体験がここにあると思います。「塩」の舞台の仁尾はいしいさんの母方の一族が暮らした町で、お母さんもその広壮な塩屋敷で生まれたと聞いています。自分に深くゆかりのある場所を舞台に、いしいさんは、まったく見知らぬところへ体ごと吹き飛ばされるような小説を書いた。すべて読み終えたあともう一度タイトルを見てみると、これほどこの小説をいいあてている言葉はない、とあらためて思いました。
(編集部S記)
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