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『橋本治と内田樹』(筑摩書房) 「新潮」09年2月号

 小林秀雄賞の第一回の受賞者、橋本治氏と、第六回の受賞者、内田樹氏が、二〇〇四年の冬と二〇〇五年の春の二回にわたって対談したものをまとめたのが本書です(対談の時点ではまだ、内田さんは小林秀雄賞を受賞していなかったわけですが──)。こうして本になるまでに三年以上が経過していても、賞味期限に何ら影響がないのは言うまでもありません。それどころか、たとえばこんなくだりが出てきます。
 
内田 アメリカは何かのきっかけで、短期的に、ほんとうにドラスティックに没落するかもしれないっていう気がしますね。
橋本 そうですね。でもあんなにピストルを持っている人たちが没落しちゃったら怖いですよね。
(中略)
橋本 怖いのは、中国って不景気を経験したことがないじゃないですか。「景気がいいから自由主義経済を入れたほうがいいですよ」ということで、まだいいところしか知らなくて、でもそれってこけると、当然不景気がくるんですよね。そうするとまだ不景気に対する免疫がないわけじゃないですか。だから不景気の兆候を判断できないし、処方できないから、どんどん不景気が加速しちゃって……。
内田 一回景気が失速したらすごいことになりそうですね。

 このような発言を三年以上前にできるのは、お二人に先見性があるからに他ならない──などと指摘したいのではありません。そうではなくて、世の中には何か空気のようなものがあり、それはかなり伝染性が強く、その空気を意識しないまま吸い続けていると、ものの見方まで曇ってしまうことがある、ということ。そしてその曇った目でものを見ていると何かを間違うことがあり、しばらく後になってから「どうしてあのとき、あんな風に思ってしまったんだろう」と不思議に思うことがわれわれにはしばしば起こる、ということ。お二人に共通するのは、毒のようなものまで取り込んで人知れず育ててきた免疫力があるために、容易にはそのような「空気」に感染しない人たちだ、ということです。

 感染しないためにはどうすればいいのか。速効性のある対症療法を求めても、そんなものはありはしない。結局は、ものの見方を鍛えなければ駄目なのだ、というあたりまえのことを本書は教えてくれます。

 間違わないものの見方というものは、「そうそう、そうだよね」と人に簡単に同意される姿かたちをとらないことが多い──お二人のやりとりを読み進めながら、そのようにも思いました。そもそも「先見性」などというものは、偶然をも含んだ歴史に対する後づけの評価にすぎません。間違った方向に進むことを補強するような「先見性」だって世の中には腐るほどあるはずだからです。

 内田さんはふだんは聞き手というよりも積極的な語り手であるはずが、本書に限っては、聞き手の側に身を置いて、「人に簡単に同意されるような姿かたちをとらない」書き手である橋本治さんの、核心にあるものを見事に引き出すことに成功しています。しゃべり過ぎないようにして、相手の答えを待つ。教育者としての実践的な能力もかなり高い人に違いない内田さんは、橋本さんからこんな発言も引き出しています。

 
内田 前にパブリックというお話をしましたけど、やっぱりミッションみたいな感じがあるんですか? 僕はすごく感じる。橋本さんはすごく強い使命感を持っているんじゃないかと。
橋本 使命感なのか、共同体の一員としての勝手に思い込んだ責務なのかもわからないんですけれども。ミッションというと、どこからかわけのわからないものがきて、という感じだけれども、俺はやっぱり見えないけれども、自分は共同体の一員だという自覚はすごくあるんです。全員が死んだとしても、自分が最後に生き残った共同体の一員だとしたら、この共同体を復活させるために、こういうことをしなければいけないんじゃないかという考え方をします。


 橋本治という人が、なぜ日本の歴史をふり返り、古典文学を読み直しているのか。なぜ三島由紀夫を論じ(『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』)、小林秀雄の『本居宣長』を論じたのか(『小林秀雄の恵み』)。橋本治的、としか名づけようのないこれまでの橋本治さんの仕事は、これまで誰かによって書き遺されたものと、書き遺した人を丁寧にあらため、鎮魂しながら、その鎮魂によって見えてくる何かを、これから生きてゆくものたちへ手渡してゆくことだったのではないか。それが橋本治にとっての「パブリック」というものなのではないか、と感じます。

 そのような批評家的な橋本治さんの仕事は、たったいま、小説という表現形式へと収斂し始めています。「新潮」09年2月号に発表された長篇小説「巡礼」は、ゴミ屋敷の住人の人生を描いた圧倒的な作品です。ここには、大戦を経て、昭和から平成へと時代を移していった日本の姿と、誰もふり返ることなく、ただその前を通り過ぎるだけで終わってしまう、しかしほんとうは鎮魂されてしかるべき、たったひとりの人間の語られざるたましいの遍歴が、ほとんど「神」としか名づけようのないようなまなざしで書かれているのです。近年これほどこころを揺さぶられた小説はありません。橋本治という希有な小説家が、今おおきく動き始めています。
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