Kangaeruhito HTML Mail Magazine 325
 怪我一生

 会社から家に戻り、お風呂に入るころにはもう眠くて眠くて立っていられないほどでした。バスタブのなかで少し居眠りをし、しぶしぶ適当にからだを洗って風呂からあがると、今度は現金なもので本が読みたくなり、ソファでごろりと横になって読みはじめてまもなく本はどこかへ落下、そのまま眠ってしまいました。目が覚めたら午前1時すぎ。

 何かのきっかけでパッと目が覚めたとたん、洗濯物を干さなきゃ(脱水はとうに終了)、眠る前にメールをチェックして、あしたの準備もしなければ──となぜかあせってしまい、ソファからがばっと立ち上がってテーブルに向かおうとしたところで、右足がしびれていて感覚がまったくないのに気がつきました。

 ときすでに遅し。自分のからだを自分で支えられず、感覚のない右足がそのまま崩れ落ちて、テーブルにむかって凄い勢いで倒れかかり、右脇腹を木の椅子の肘掛けに激突させてしまったのです。しばらく(たぶん10秒とか20秒ぐらいだったのでしょうけど)息が詰まって呼吸ができない状態になり、あー肋骨を折ってしまったかな、これで一ヶ月入院かな、やっちゃったーと思いながら、激痛で床に転がっていました。

 息ができないのは恐ろしい。激痛も恐ろしい。床でうめいているあいだは、恐ろしさの金縛り状態で何もできない。風呂からあがってソファに横になり、呑気に本を読み始めたと思ったらすぐに本を取り落とし、居眠りを続けていると思ったら今度は突然起きあがって自分から勝手に椅子に向かって倒れこむ一連の動きを天井あたりのカメラから録画していたら、こんなに滑稽なものはないでしょう。しかし本人は、身体的にも心理的にも真っ赤に点滅する赤信号のなかにいる。

 10分か15分か、床に横になっているうちに、浅くではあるものの息が整うようになってきて、これは肋骨が折れるところまではいっていないのでは、と思い始め、まあヒビぐらいは入ったかな、からだもゆっくりなら動かせるし、救急車で運ばれるほどではなさそうだと思えてきたところで気持ちが少し楽になりました。気持ちが楽になると呼吸も少し深くなってくる。気持ちとからだはぴったり重なっています。

 脇腹に二枚シップを貼りました。悲鳴をあげたくなるほどシップが冷たい。立ち上がることも歩くこともできるようになったので、もうあとはとにかく横になりたくて、そのまま歯も磨かずに眠ることにしました。夜はなぜかぐっすりと眠ることができ、朝おそるおそる起き出してからは、咳払いしたりすると痛いものの、骨が折れていたらもっと痛いはずだし腫れているはずなので、シップの上から腹巻きをして、出社しました。編集会議のある日でした。

 今年は正月の元旦から具合の悪くなった父親を病院に運んだり(警察病院の先生、看護師さん、親身にそして丁寧に診てくださってありがとうございました。父はすっかり元気です)、三週間ほど前にはクルマを運転中に風邪の症状と過労とが重なって気を失いかけ、路上で緊急停止したところが交番の前で、おまわりさんが呼んでくれた救急車で病院に運ばれたり(北里研究所病院の総合内科の先生、看護師さん、みなさん親切に診てくださってほんとうにありがとうございました! 電気毛布のあったかさは一生忘れません)、私の方角はすべて病院に向かっている、という感じの一月でした。

 そしてほんの数日前、ピアノ特集のインタビューで矢野顕子さんにお目にかかる前日に、キッチンの戸棚をあけようと思ったら、自分があけるつもりの扉ではなく、そのひとつ上の扉のノブを引っぱっていたために、自分で自分のおでこに扉の角をガンと打ち付けてしまい、おでこにはヒルが吸いついてたっぷり血を吸ったあとのような赤いあざをつくってしまったり……二月に入ってもなんだか散々な状態が続いています。

 今日で肋骨を打ってから四日目。まちがってくしゃみをしたりするとうなり声をあげたくなるぐらい痛いのですが、もともと痛みには大袈裟なぐらいの過剰反応をする私のこと。ふつうに歩けるし、ごはんもぱくぱくと食べているし、まあ大丈夫でしょう。テレビのスポーツニュースでキャンプ中のプロ野球選手がインタビューを受けていると、「怪我には気をつけたい」「怪我だけはしないように」と「怪我」「怪我」と連呼しています。いやあ、ほんとうに怪我には気をつけないと。みなさんもどうぞお気をつけください。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
Copyright 2009 SHINCHOSHA (C) All Rights Reserved